TBSの東條英機のドラマを見て感じたこと

2008.12.25 Thursday 05:21
くっくり


 戦後、東都新聞記者の吉原政一(架空の人物)は、開戦に至る経緯を知るため、当時の言論界をリードした徳富蘇峰を訪ねる。徳富はA級戦犯容疑を受けたが老齢のため不起訴、公職追放されている。

 日本軍による南部仏印進駐に対し、昭和16年7月、アメリカは対日石油輸出禁止という厳しい経済制裁をとり、日米関係は一気に緊張。
 9月には御前会議で、政府と軍部は、外交がうまくいかなければ、「日米開戦を決意す」と決定。

(支那事変については「貧しかった日本は豊かさを求めて支那に進出した」という感じで触れる程度。安全保障上の視点はほとんどスルー)

 が、軍人の中にも開戦反対派はいた。特に海軍は最初は開戦には反対で、外交で解決してくれと政治にボールを投げていた。
 東條英機は開戦派。開戦しなかったらクーデターが起きると心配していた。

 首相の近衛文麿は戦争が嫌い。「新聞もラジオも国民も、国中がアメリカと戦えと言っている」とぼやき、「統帥権があるから馬鹿馬鹿しくてやってられない」と首相を辞任(海軍からボール投げられてたのに何もしなかった)。

 昭和天皇も外交で解決することを望んでいた。天皇は東條にしか開戦は止められないと考え、彼に組閣を命じた(実際のところ東條を首相に据えたのは内大臣の木戸幸一)。
 10月18日、東條が首相に就任したことで開戦は決定的かと思われたが、東條は就任後、9月に行われた御前会議の決定を白紙に戻し、戦争回避に尽くす。

 話は遡るが、昭和15年9月、日本は第二次近衛内閣の松岡洋右外務大臣の熱狂的なリーダーシップにより、日独伊三国同盟を結んだ。この時、軍からは「対米・対英関係と敵対し得策ではない」ということで慎重論があったのだが…(陸軍は賛成、海軍は反対した)。

 新聞記者・吉原の上司は、吉原に記事のダメ出しをする。「他紙を見てみろ!もっと国民が喜ぶような派手な見出しをつけろ!」。当時、新聞各紙は競って戦意高揚記事を書いていたのだ。

 国民が戦争を欲し、陸軍の中枢部にいた石井秋穂が和平を模索するという、奇妙な現象があった。

 一方、日本の情報はアメリカに筒抜け。暗号解読されていた。情報戦ですでに日本はアメリカに負けていたのだ。

 ルーズベルトは日本を叩き潰したかったが、当時アメリカ世論は戦争には反対。だからルーズベルトは参戦の大義名分を探していた。

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