2008.12.23 Tuesday 01:45
くっくり
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より
昔の日本は中国から工人、学者、僧侶(そうりょ)を招いて、新しい製造技術、新しい社会と政治の運営方法、人間と自然と宇宙の関係についての新思想などを教えてもらった。留学生を送って、新しい知識を学ばせ、もち帰らせた。産業革命と機械文明以前の日本は、必要に応じて外部世界との関係を断ち切ることを選び、導入した技術と思想を時間をかけて消化し、自分たちの気質と環境に適応させていくことができた。
しかし、19世紀後半になると、もはや外界と隔絶することも、時間をかけていることもできなくなった。日本人は妥協を許さない欧米人を締め出すことができなかった。欧米は自信をもっていた。科学と機械力で自信をつけた欧米人は、自分たちはアジア人やその他の「後れた」人種より本質的に優れていると確信して植民地に対していた。欧米の行動様式は欧米人が「正しい」と認めたものであり、それ以外の行動様式は「間違い」だった。欧米に順応すれば「進歩」であり、順応できなければ「反動」とされた。
このように、日本の新しい指導者たちは、きわめて危険な状況のもとで、新しい文明をつくり始めたのである。日本には二つの選択肢しか与えられていなかった。一つは、欧米の要求に応(こた)えて、手工業と農業中心の経済から輸出型の工業偏重経済に移行することだった。同時に近代的軍事機構を確立し、極東における欧米の力の均衡政策に貢献する欧米型国家になることだった。もう一つの選択は、中国のような半植民地国家として留まるか、欧米のどこかの国の植民地になるか、であった。
日本の指導者たちが、欧米型国家になることを選択したのは当然である。そのためには、政治と経済の中央集権化が不可欠だった。
〈中略〉私たちが戦中戦後を通じて、日本を非難する理由は、この中央集権的経済体制の発展が「全体主義」的であり、「戦争願望」をつくり出したというものである。しかし、当時の欧米列強はこの発展を歓迎していたのだ。文明の後れた韓国と中国に西洋文明の恩恵をもたらす国、近代的秩序と規律をもつ国家が必要だった。だから日本の近代化が求められたのだ。
[7] << [9] >>
comments (9)
trackbacks (0)
<< 五百旗頭イズムが防大生を苦しめる
TBSの東條英機のドラマを見て感じたこと >>
[0] [top]