五百旗頭イズムが防大生を苦しめる

2008.12.20 Saturday 01:26
くっくり




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 おまけ。
 村山談話のいい加減さ(内容から成り立ちに至るまで)はすでに論壇でもいろいろと指摘されてますが、また1つこういう指摘がありました。一部引用します。

【正論】村山談話の空虚性を撃つべし 国学院大学教授・大原康男(産経12/16)
 ≪定義できぬキーワード≫

 周知のように、「村山談話」は、平成7年6月9日に衆議院でなされた“終戦50年国会決議”への不満から、終戦の日にあらためて村山富市首相の談話として発表されたものであるだけに、「過去の一時期、国策を誤り」「植民地支配と侵略」「多大な損害と苦痛を与え」「痛切な反省」「心からお詫(わ)び」といった自虐一色に塗りつぶされた章句のオンパレードである。

 この一面的かつ粗雑な歴史観についてここで論ずる余裕はない。何よりも強調したいのは、そうした歴史認識の具体的な内容に立ち入るまでもなく、そもそも本談話が歴代内閣によって金科玉条のように墨守されるほどの実体を有しているのかという根本的な疑念である。

 ここでのキーワードの一つは「国策を誤り」であろう。「村山談話」の11年近く後に長妻昭衆院議員が出した質問主意書に対する政府答弁書(平成18年6月13日)は、驚くべきことに「お尋ねの『国策を誤り』については、個々の行為に対する評価等をめぐり様々な議論があるところ、政府として、その原因を含め、具体的に断定することは出来ないと考える」と述べ、その判断を完璧(かんぺき)に放棄してしまった。終戦60年に当たる前年の終戦の日に発表された「小泉談話」から「国策を誤り」がすっぽり抜け落ちていることと見事に符合している。

 それ以上に重要なキーワードは「侵略」である。この語の定義について鈴木宗男衆院議員が提出した質問主意書に対する政府答弁書(平成18年10月6日)でも「国際法上の侵略の定義については様々な議論が行われているが、確立した定義があるとは承知しておらず、お尋ねについてお答えすることは困難である」と答弁、同じように確固とした見解が出せないことを正直に告白している。

 ≪侵略も植民地も消えた≫

 ここでふと想起するのは、“終戦50年国会決議”を最も熱心に推進した加藤紘一自民党政調会長(当時)と決議案の内容について折衝したときのこと。私が「どうしても『侵略的行為』とか『植民地支配』という言葉を入れたいのならば、それらが何を意味するのかきちんと定義してほしい」と求めたところ、加藤氏は「われわれは学者じゃないから、そんなきちんとした定義は出さなくていい」と平然とうそぶいた。「村山談話」のいい加減さはここから始まっていたのだということを再認識した次第である。

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