「たかじん委員会」教育問題と日教組
2008.10.13 Monday 03:37
くっくり
石井昌浩
「ですから誰も諫める人はいませんでした」
宮崎哲弥
「ちょっと待って下さい。教育長として、そういうことが起こりうる状況がこの学校にあるということは、ご存知だったんですか?」
石井昌浩
「ええ、もちろんわかってますので、私が着任するまでは、まあかなり国立は過激な教職員の運動がありましたから、そこで国旗・国歌は全く無縁の地域であるということで、国旗の揚がった卒業式、入学式っていうのはなかったわけですね」
宮崎哲弥
「じゃあそれ以前の教育長は、その状況を追認していたということですか?」
石井昌浩
「当然そういうことになりますね」
勝谷誠彦
「それは要するに、過激なっていうことは日教組ですか?」
石井昌浩
「いえ、日教組は最大の組織ですけれども、今もう1つ、全教という組織もありますよね」
一同
「ああー」
石井昌浩
「まあ国立の場合には、だいたい半々ぐらいでしたね」
一同
「ああー」
勝谷誠彦
「それでね、そうやった教師たちというのは、後で処分されたんですか?その、校長先生を取り巻いて、尻馬に乗って、そこにいわゆる思想をした先生たちは、子供たちを煽った…」
石井昌浩
「ええ、そのことについては残念ながら、かなりの人数が国立で処分されました」
一同
「ああー」
勝谷誠彦
「いや、それは残念じゃないですよ。素晴らしいことですよ」
石井昌浩
「いえいえ、処分自体は私はやっぱり残念なことだと思います」
勝谷誠彦
「当時の責任者としてはね、そうですけれども」
(いったんCM)
石井昌浩
「戦後教育の主役というのは、まず最大の主役はGHQ、それから現地代理人の文部省、それからその学校現場の実践者として、ま、あのいわばその、色々の思想を実践する実践者としての日教組、この三者が日本の戦後教育をほとんど支配した主役ではないかと」
宮崎哲弥
「石井さん、よくわかりましたけれど、だとすると、GHQのその占領的文教政策の思想の核心っていうのは何なんですか?」
石井昌浩
「ええ、やっぱりあの、戦前・戦後をひとつ分けること。そして戦前は基本的にはノーである、そして戦後の新しい民主主義はイエスであるというところが、基本的な政策だと」
[7] << [9] >>
comments (24)
trackbacks (0)
<< 天皇はなぜ尊いか(付:石井選手の発言)
「アンカー」テロ国家指定解除で拉致問題は?(付:中国毒インゲン) >>
[0] [top]