小泉元首相政界引退 どうしても言っておきたいこと
2008.09.27 Saturday 02:00
くっくり
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(1)拉致問題
拉致問題の扉を開けた小泉さんの功績は、確かに大きいと思います。
ただ、あの2002年9月17日の日朝首脳会談、そして日朝平壌宣言、さらに拉致被害者5人生存8人死亡という北朝鮮側の一方的な報告の「鵜呑み」、こういった流れは外務省の当時アジア大洋州局長だった田中均さんが作ったもので、小泉さんはそのレールに乗っかっただけという印象がどうにも拭えません。
この年の初め、小泉さんは田中真紀子外相を更迭しました。それにより支持率がガクンと落ちてましたから、「支持率回復させたい、何か手柄がほしい」という気持ちが小泉さんにあったのは否定できないでしょう。
はっきり言って、当時内閣官房副長官だった安倍さんを平壌に随行させてなかったら、金正日が拉致を認めたかどうかも危うかったのでは?
(昼食時、控え室が盗聴されていることを察知した安倍さんが小泉さんに言った、「もし午後の会談で金正日が拉致を認めて謝罪しなかったら、平壌宣言にサインはせずこのまま帰りましょう」という言葉はあまりにも有名)
あと、2004年5月の2回目の訪朝についても、「??」と思ったことがありました。
2002年に帰国した5人のご家族の一部は、その時小泉さんに連れられて帰国を果たしましたが、肝心の5人以外の拉致被害者の安否は先送りされました。
なのに小泉さんは「経済制裁はしない」と北朝鮮側に明言、そのうえ25万トンの食糧支援(最も安い国産米でトン当たり20万円としても500億円相当)と11億円の医療援助を約束してしまったのです。これではまるで身代金です。
そして小泉さんは北朝鮮から帰国した後、その日のうちに家族会と対面したのですが、そこにテレビカメラをわざわざ入れたんですよね。
その場では当然、家族会から小泉さんに対して批判が続出しました。
私なんかは「家族の皆さんの言う通りやわ。小泉さん、何とかしてよ!」という気持ちでテレビを見てたんですが、そうは思わなかった人も多かったようでした。
そう、絵ヅラ的には「家族に責め立てられる可哀相な小泉さん」になってしまってたんですね。
そして、それが大きな要因となって、直後から2ちゃんねるでは家族会へのバッシングの書き込みが殺到、家族会など関係者にも直接大量の抗議や中傷のメールが送られるなどする結果となったのです。
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