2008.08.16 Saturday 01:54
くっくり
1952年(昭和27年)11月、広島高裁での歓迎レセプションにおける発言
わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。
このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。 そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。
満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられねばならない。
「捏造された日本史」(黄文雄著)より
英印軍の捕虜からインド国民軍の将校になった二万人近い軍人たちが裁判にかけられたとき、首席弁護士を務めたインド法曹界の長老、パラディ・デサイ博士は裁判で召喚された光機関長 磯田中将、ビルマ方面軍参謀長 片倉中将のいる前で、堂々とこう語った。
「インドはまもなく独立する。この独立の機会を与えてくれたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで三十年もはやまった。インドだけではない、ビルマもインドネシアもベトナムも、東亜民族はみな同じである。インド国民はこれを深く心に刻み、日本の復興には惜しみない協力をしよう」と。
「岸信介の回想」(岸信介他)より
1957年(昭和32年)、岸信介首相がインドを訪問した際の歓迎演説会での演説(大意。「正論」08年3月号掲載 福田和也「悪と、徳と」第40回より孫引き)
今、ここに日本の総理を迎えている。
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