【終戦の日】外国人から見た日本と日本人(7)

2008.08.16 Saturday 01:54
くっくり


■ヘレン・ミアーズ=アメリカ人。東洋学者。1920年代から日米が開戦する直前まで2度にわたって中国と日本を訪れる。1946年(昭和21年)に連合国占領軍最高司令部の諮問機関のメンバーとして来日、戦後日本の労働基本法の策定に携わった。
「アメリカの鏡・日本」(昭和23年出版。出版当時、マッカーサーにより邦訳出版が禁止された)より

 私たちは、最大の損害を出した戦場が硫黄島と沖縄であることを知っている。だからこの作戦が実施された1945年春の時点で、日本は依然として大きな軍事的脅威であると信じていたのだ。これは日本の侵略軍を壊滅させるための作戦ではなかったが、アメリカ人はそれを認めようとしない。なぜこの作戦が必要だったかといえば、私たちの政策決定者が日本本土占領の意志を固め、日本を屈服させるには本土上陸しかないと信じて(正確には、信じているといって)いたからだ。私たちの政策決定者が日本の戦力と性格を正しく把握していなかったために、硫黄島と沖縄で多くの米兵の命が失われたといっていいだろう。

 日本の戦争機関は私たちが大規模爆撃を始める3月以前にすでに敗北し、わずかな防衛力を残すだけになっていた。これは占領後の調査報告が公式に認めていることだ。

<中略> 硫黄島と沖縄の日本人とカミカゼは、彼らを征服するために送られた膨大な数の人間にとってのみ脅威だった。彼らは「アメリカの安全を脅かして」いたわけではない。この作戦でアメリカを「征服」しようと思っていたわけでもない。アメリカが日本を征服しようとしていたのだ。

 これが日本人を「世界で最も軍国主義的な国民」とする私たちの論拠である。私たちはこういう状況の下で大きな損害を受け、日本も私たちをはるかに上回る損害を出した。この事実から私たちは「戦闘的な人種」という偽りの像をつくり出した。点々と散らばる自分たちの島を絶望的に守ることと、遠く離れた巨大な大陸に攻め入って征服することは、まったく違う。ところが、私たちはそれを忘れ、戦ううえでも平和計画をつくるうえでも、この誇張された日本民族像を政策決定の基盤にしているのだ。

 沖縄作戦は、本土上陸か原子爆弾がなければ日本は占領を受け入れない、という論理で正当化された。しかし、占領後に公表されたアメリカの公式報告は、この論理が間違っていたことを明らかにしている。この判断の誤りが、私たちに数千のアメリカ将兵を失わせたのである。私たちの政策決定者は、なぜ、本土に上陸しなければ日本は無条件降伏しないと信じていたのだろうか。

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