【終戦の日】外国人から見た日本と日本人(7)

2008.08.16 Saturday 01:54
くっくり


○サイデマン・スリヨハデイブロジョ=インドネシア人。陸軍大学長、駐日大使、外務省上級大使などを歴任。
1995年5月29日、戦後50年を記念して日本武道館で開かれた「アジア共生の祭典」に、スハルト大統領特使として参列した翌日、インタビューに答えて

 昨日は、日本人というのはアジアなんだなあと思いながら一日暮らしました。駐日大使として赴任していた頃(七九〜八三年)の日本人は西洋人にほめられたい、西洋人の一員になりたい、という態度がありありと感じられてなんともいえない気持ちでした。ところが昨日会った人たちは皆が皆、アジア人であると感じられてとても愉快でした。

 かつて日本は我々に自信と敢闘精神を教えてくれました。日本軍政の最大の功績はベタを創設したことですが、インドネシア語を普及したことも多種多様なインドネシアの団結に偉大な役割を果たしました。

 日本に学べというのは、日露戦争以降今日まで続いているアジアの伝統的な姿勢です。独立運動の指導者、スカルノとハッタが演説のなかで繰り返し言ったことは、一九〇五年の日露戦争における日本の勝利についてでした。これこそ我々が白人に勝てる証明だと。独立を勝ち取った後の我々は植民地にさせられていたことの反省として、科学技術と人材の養成を克服すべき課題として掲げています。その際、学ぶべき日本とは欧米化する日本じゃない。欧米に負けないように科学技術文明を高めつつも、固有の文化を失わなかった日本にこそ我々は学びたいのです。

 各国の大使は日本に赴任すると、皇居にご挨拶に伺います。私は昭和天皇と皇太子殿下(今の天皇陛下)にお会いしたとき、こんなに高い地位の方がなんと謙遜なご姿勢なのだろうと、我々のところまで降りてきて下さって我々を理解しようとなさるご姿勢に非常な感銘を受けました。各国の大使も皆同じような体験をしています。感動すべき、健全で健やかな日本ここにありと今でもそのときのことは心に深く刻まれています。


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