「ムーブ!」中国の死刑&対日宣伝工作と同じ手法がチベットに

2008.05.06 Tuesday 01:27
くっくり



 1928年(昭和3年)5月3日に発生した済南事件でも、日本人居留民12人が中国兵に残虐な殺され方をしました。
 中国側も立ち会った済南医院での日本人被害者の検死結果によれば、「頭および顔の皮をはがれ、眼球摘出。内臓露出。陰茎切除」「全顔面及び腹部にかけ、皮膚及び軟部の全剥離」「陰部に約2糎平方の木片深さ27糎突刺あり」「顔面破砕。両眼を摘出して石をつめる」……(依存症の独り言さん05/6/13付より)。

 大高未貴さんは以下のように述べておられます。

大高未貴の世界見聞録>08/1/8付:敵の顔
 一昨年、中国で『論日本』という反日国策(?)漫画が発売されたが、それには“日本人は食人が好きなので死体を砂糖漬けにして食べた”“日本軍は残虐で、殺し尽くし、焼き尽くし、奪い尽くす三光作戦を展開した”などの記述がある。
アメリカの心理学者S・キーンの『敵の顔』によれば「敵のイメージは自我の否定的側面から構成される」とある。
つまり「自分達ならこうする。だから日本人もそうなるに違いない」という深層心理から生まれた記述なのだ。
ちなみに日本語の“光”に殺す、焼く、奪うといった意味はない。

 ところで“生きて虜囚の辱めを受けず”という戦陣訓は日清戦争の時に生まれたものだ。
日本兵が中国側に捕まったら最後、想像を絶する拷問が待ち受けていた。生きたまま、耳を切られ、目を潰され、腕や足を切られ、何週間もかけてジワリジワリといたぶられながら殺された。
そこで日本軍の司令官が「敵の捕虜になったら最後、地獄の苦しみを味わう。そうなるまえに自決せよ」と部下に指令を出した。
それを第二次世界大戦に東條英機がまとめたものが戦時訓で、いわば中国との戦争から生まれた軍人心得なのだ。

 そう、中国人は日本兵に対しても「凌遅刑」を行っていたのです。
 自国の人間にでも平気で残虐なことをやれる人たちです。敵国の兵が相手なら、もっともっと残虐になれたことでしょう。

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