2008.04.07 Monday 00:26
くっくり
今、私たち日本の仏教者の真価が問われています。
チベットでの中国の武力行動によって、宗教の自由が失われることに心から悲しみと、止むに止まれぬ抗議を表明せずにはいられません。
私たちはあくまでも宗教者、仏教者として、僧侶をはじめとするチベット人の苦しみを、もはや黙って見過ごすことができません。
チベット仏教の宗教的伝統を、チベット人の自由な意思で守るということが、大切な基本です。
皆さんは、日本の全国のお坊さんがどうしているのかとお思いでしょう。
日本の各宗派、教団は日中国交回復のあと、中国各地でご縁のある寺院の復興に力を注いできました。
私も中国の寺院の復興に携わりました。
しかし、中国の寺院との交流は全て北京を通さずにはできません。
ほとんど自由はなかった。
これからもそうだと、全国のほとんどの僧侶は知っています。
そして、日本の仏教教団がダライ・ラマ法王と交流することを、北京は不快に思うこともよく知られています。
あくまでも、宗教の自由の問題こそ重大であると、私は考えています。
しかし、チベットの事件以来、3週間以上が過ぎてなお、日本の仏教界に目立った行動は見られません。
中国仏教界が大切な友人であるなら、どうして何も言わない、しないで良いのでしょうか。
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