「アンカー」硫黄島陥落63年 栗林中将の法要

2008.03.27 Thursday 01:25
くっくり



image[080326-27map.jpeg]青山繁晴
「そして皆さん、この『アンカー』のおかげで、一昨年の12月に放送して、いろんな反響ありました。嫌がらせもありました。しかしその中に、海上自衛隊の現役の機長から僕に手紙が来て、封を切るまでは『あなた何てことを講演やテレビで言ってるんだ』という手紙かと思って、僕も不安だったんですけど、開けてみたらですね、いいですか、現役の機長ですよ、彼は今も硫黄島を飛んでるわけですから。『青山さん、私はね、硫黄島の上で操縦桿を倒して、着陸する時に、これでいいのか?と。俺がドーンとこの機体を降ろしたら、その下で私たちのために死んだ人の上にどーんと重しをかぶせることになるのに、これでいいのかと思ったけども、自衛隊という組織の中では話ができない。ようやくこれに気がつく日本国民が出てきたことを、私は評価したい』というお手紙をいただいたんです」

image[080326-28ao.jpeg]青山繁晴
「そして僕はそのお手紙をいただいたあとに、当時首相だった安倍さんと会いました。いつ会ったかというと、去年の5月29日です。すなわち松岡農水相が首をつった翌日です(スタジオの誰かが鼻をすする音が。隣の村西アナ?)。安倍さんはもう心ここにあらずで、何とも言えない悲痛な目をしてましたが、僕はここしかもう話す機会はないと思ったんで、安倍さんに2つのことをお願いした。1つは、二度と日本国民が『いおうじま』というアメリカが勝手に間違えてつけた名前で呼ばない。旧島民が『いおうとう』に戻して下さいとずっとおっしゃてるんで、今、小笠原諸島の父島、母島にいらっしゃる旧島民の方がおっしゃってるように、『いおうとう』という名前に変えましょうということが1つと、それから安倍さん、あの滑走路を引き剥がして下さいとお願いしました。そしてまあ、安倍さんの助力もあって、名前こそ『いおうとう』に実は変わりました。国土地理院が変えました。しかし、滑走路自体はそのまま使われてる。そのまま使われてるから、僕が言ってる『異様な法要』というのは、法要やってるとこにはもちろん遺骨ないけれども、お墓に行ったらちゃんと遺骨があって、みんなが気持ちを込めてお祈りできるのに、もう空っぽなんです。僕は法要に参加して、ああ、ここには本当は栗林さんも、硫黄島の方々もいないんだな。どこにいるのかはっきりしてて、あの東京から1250キロ、大阪からも1300キロぐらいのあの硫黄島に今も閉じ込められてるわけです。そうすると私たちがやらなきゃいけないのは、私たちが国民の声を上げて、あの硫黄島の滑走路を引き剥がして、遺骨をみんなのふるさとに帰っていただく。この関西もいっぱいいるんですよ(涙)。全国からかき集めたんですから。故郷に帰っていただく、故郷に帰っていただいたら、その遺骨の方々が生きてる時にみんなのことを思って、ね、今の子どもたち、今の僕たちのことを想って死んだんだってことが子どもに伝わったら、今のような愚かな事件も、茨城や岡山で起きたようなわけのわからない事件(若者による通り魔殺人)も、家族に、家族と話ができない子どももいなかったんじゃないかということを、硫黄島の法要をきっかけに考えていただきたいんです」

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