「アンカー」硫黄島陥落63年 栗林中将の法要

2008.03.27 Thursday 01:25
くっくり



image[080326-26studio.jpeg]青山繁晴
「事実、あの巨大な帝国陸軍と帝国海軍の組織の中で、最後まで日米開戦に反対したのは栗林さんたった一人なんですよ。ね。海軍の有名な山本五十六中将も最後は真珠湾攻撃でアメリカと戦争に踏み切ったでしょう?栗林さんだけは最後まで反対したんですよ。でも戦争になってしまったから、戦争になってしまって、どうして栗林さんが硫黄島で皆さん、見ていただいた地下の塹壕を掘ったかというと、兵士の命なんかどうでもいいんじゃなくて、そうじゃなくて、この硫黄島で必ずみんな死ぬけれども、この地下で籠もったら、1日戦いを引き延ばしたら1日分、アメリカ軍が硫黄島を拠点にして本土を爆撃するのが1日減って、その分女性と子どもが生き残って、あのアメリカの空襲が、大阪大空襲も東京大空襲も兵隊じゃなくて、女性と子どもを中心とした一般市民を狙ってたのをみんな知ってるでしょう?ね。栗林さんはそれを減らそうとして、あの硫黄島で最後まで穴に籠もって戦って、そして死んだんです。それを敵だったアメリカ人はよく知っててヒーローにしてて、日本人は忘れたまま、未だに遺骨、何も、1万2000人の遺骨はまだ何も帰ってこなくて、皆さん、見ていただいたあの海上自衛隊の基地は、滑走路の下に日本の方々が眠ったままなんです。閉じ込められたままなんです。眠ってるんじゃなくて閉じ込められたままなんです。どうしてかというと、硫黄島が戦争が終わって23年後の1968年に日本に返還された時に、私たちが主人公のこの国民国家の政府と私たちが育んだはずの自衛隊が何をしたかというと、滑走路を少し横にずらしただけで、だから一部しか遺骨は出ないわけです。ほとんどの遺骨はその滑走路の下に閉じ込められたまま、今この時間も、たった今も海上自衛隊機がその上にドーンと着陸してるわけです」

[7] << [9] >>
comments (16)
trackbacks (0)


<< 台湾総統選 馬英九氏勝利で今後どうなる?
集団自決訴訟で原告側の請求棄却 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]