「アンカー」硫黄島陥落63年 栗林中将の法要
2008.03.27 Thursday 01:25
くっくり
image[080326-23kouen.jpeg]青山繁晴(講演)
「栗林中将以下、この穴を掘った人たちは本当に僕たち、今現在に呼びかけてるのは……」
今回行われた栗林中将の法要のあと、青山は自らが見た硫黄島の姿を多くの人の前で語りました。(映像には涙ぐむ女性の姿も)
青山繁晴(講演)
「……何とか生き残ってもらった女性と子どもをね、始まりにして作った新しい日本はどんな国なんですかと。きっとみんなが胸を張って生きられる、世界に胸を張って生きてる国でしょうねと。ね。それを見たいんでしょう?」
image[080326-24haka.jpeg] 明徳寺にある栗林中将の墓。ここには遺骨は納められていません。
63年経った今、私たちが考えなければならないのは、現在の日本の姿かもしれません。
…………………………VTR終了…………………………
image[080326-25ao.jpeg]青山繁晴
「はい。あのね、すいません、なるべく冷静にお話ししたいと思うんですけど、まず皆さん、今のVTR、普段よりもきっとじっくり見ていただいたと思うんですね。で、最初の、VTRの最初の方にですね、祭壇のところに石ころあったでしょ?白い布に包まれた石ころ。あれ、、日本人がとってきたんじゃないですよ。あれはアメリカ人がせめて、ね(涙)、戦った敵のアメリカ人が、せめて遺骨の代わりにと言ってくれた石ころなんですよ。あの硫黄島で亡くなった人は、VTRにもありましたけれど、私たち普通の庶民と同じような、大工さんとか、魚屋さんとか、学校の先生とか、役場の人とか、そういうパン屋さんとか、和菓子屋さんとか、記録見るとそういう人ばっかりです。もう戦争末期で職業軍人はほとんど残ってませんでしたから。その方たちが2万人亡くなって、戦争が終わって63年経つのに、今の帰ってきた人はただの8000いくらですよ。1万2000人ね、島で眠ると、きれいなことを言っちゃ駄目ですよ。島で眠るなんて(涙)、ほんとは閉じ込められてるわけでしょう?ね。60年間、僕たちに見捨てられたまま、僕たちが忘れたまま、あの島に、あの南の熱い熱い地熱の島に、そのまま閉じ込められたままでいるから、法要やってもお墓の中は空っぽ、祭壇に置かれてるのもアメリカ人がくれた石ころ。それで私たちはあの戦争を克服したと言えるんでしょうか。そして栗林さんのことで申せばですね、さっき皆さんVTRであの、アメリカやカナダに駐在武官で行ってた時の絵がありましたね。あの絵や手紙を読むとですね、もう胸に迫ってくるのは、栗林さんは本当はアメリカの民主主義が大好きで、自分のちっちゃなお子たちをアメリカの明るい民主主義の中で育てたかったっていうような思いがもう、はっきりと伝わってくるわけです」
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