「アンカー」硫黄島陥落63年 栗林中将の法要

2008.03.27 Thursday 01:25
くっくり



青山繁晴
「ボーイさんにまで気を遣うのは、栗林さんだけだったんじゃないですか?」

貞岡信喜
「です。はい」

 栗林中将を慕う貞岡さんでしたが、硫黄島へついていくことは許されなかったのです。

image[080326-13tatakai.jpeg] 太平洋戦争で最も壮絶な戦いと言われた硫黄島の戦い。
 この戦いで、日米合わせて2万6000人の兵士が命を落としました。

image[080326-14bush.jpeg]ブッシュ大統領
「硫黄島の戦いは、アメリカの歴史の中で最も重要な戦いです。兵士達が摺鉢山に掲げた旗は、自由と民主主義のために戦うアメリカの決意のシンボルなのです」

image[080326-15seijouki.jpeg] 硫黄島はアメリカ人にとって特別な場所です。
 摺鉢山に星条旗を立てる海兵隊の姿が、勇敢に戦う兵士の象徴として心に刻まれているから――。

 現在の硫黄島には海上自衛隊の基地があり、民間人の立ち入りは原則、禁止されています。

 2006年、「アンカー」の取材で硫黄島に降り立った青山。

image[080326-16kaigan.jpeg]青山繁晴
「ここが1945年2月にアメリカ軍が上陸してきた、その海岸です」

(いったんCM)

 2006年、青山は硫黄島に降り立った。

image[080326-17suribati.jpeg]青山繁晴
「ここが1945年2月にアメリカ軍が上陸してきた、その海岸です。で、ここから上陸していって、まず、あの摺鉢山を占領して、あそこの頂に、あの有名な旗を立てました。ここで何とか時間を稼いで、その間に日本の東京から和平交渉してほしかったわけです。それなのに日本の本土では軍の首脳部が、ここに栗林中将や、それから全国からかき集められた普通の国民をここに送った軍の首脳部は、本土決戦というようなことを叫び続けて、和平交渉もしなかったから、実はやがて5カ月あとの長崎、広島の原爆投下に至るわけです」

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