2007.11.27 Tuesday 00:42
くっくり
1995年5月29日、戦後50年を記念して日本武道館で開かれた「アジア共生の祭典」に、スハルト大統領特使として参列した際の言葉
第二次世界大戦が終わりましてから、今年で五十年が過ぎました。この戦争は多大な悲しみと苦しみとそして大量の死と破壊をもたらしました。しかし、この戦争は何億人という世界の人々に対して新しい輝かしい世界への扉を開くことになりました。それは多くの人々が自由を獲得し、また独立を手にすることができるようになったからです。そしてインドネシアもインドネシア共和国という主権国家を打ち立てることができました。
これらの植民地となっていた人々の中でも、特に若い人々が大きな犠牲を払い、また独立のために命を捧げました。そして、第二次世界大戦中、あるいはその直後に植民地に住んでいた人々だけではなく、外国の人々が力を貸してくれるということが見られました。
私の国インドネシアをとりますと、多くの日本の青年たちがインドネシアを自由にするために独立の闘士たちと肩を並べて戦ってくれました。そして多くの日本の若者たちがそのために命を犠牲にしてくれました。そこで、今日の式典におきまして私たちの独立のために命を捧げてくれたこれらの若者たちを偲びたいと思います。
「正論」2006年12月号【私が知っている東條英機の実像】より
東條は昭和16年10月17日、大命を拝命し、敷かれた軌道に乗せられるようにして、12月8日、ついに対米、英戦争に突入したのです。
(中略)大東亜戦争の始まりは、日支事変、国際連盟脱退、日独伊3国同盟など、一連の流れの中で見ないといけません。決して、東條英機が首相になってからの昭和16年12月8日に始まったのではないのです。孫の由布子さんは、「戦争は長い歴史の中の1ページ。東條1人で濁流を押し戻そうとするのは無理だった」と話しています。
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