外国人から見た日本と日本人(3)

2007.11.27 Tuesday 00:42
くっくり


 1944年7月13日付の記述

 話が日本軍とわが軍が犯す残虐行為に及んだ。わが軍の一部兵士が日本人捕虜を拷問し、日本軍に劣らぬ残虐な蛮行をやっていることも容認された。
 わが軍の将兵は日本軍の捕虜や投降者を射殺することしか念頭にない。日本人を動物以下に取り扱い、それらの行為が大方から大目に見られているのである。

 われわれは文明のために戦っているのだと主張されている。ところが、太平洋における戦争をこの眼で見れば見るほど、われわれには文明人を主張せねばならぬ理由がいよいよ無くなるように思う。
 事実、この点に関するわれわれの成績が日本人のそれより遥かに高いという確信は持てないのだ。

■アンドレ・マルロー=フランスの作家、冒険家、政治家。1936年、スペイン内乱が起こると義勇兵として共和国派に参加。第二次世界大戦中はドイツへの抵抗運動に身を投じた。戦後はド・ゴール政権下で情報相や文化相を務めた。
会報「特攻」第8号より
 元リヨン大学客員教授で特別操縦見習士官だった長塚隆二氏が、昭和49年夏にパリ南方郊外にアンドレ・マルロー氏を訪れ、「特攻隊員に対する戦前・戦後の急激な評価の変化、その純粋な心を傷つける輩の態度に憤りを感じている」と話したことに対する、アンドレ・マルロー氏の言葉。

 日本は太平洋戦争に敗れはしたが、そのかわり何ものにもかえ難いものを得た。これは、世界のどんな国も真似のできない特別特攻隊である。ス夕−リン主義者たちにせよナチ党員たちにせよ、結局は権力を手に入れるための行動であった。日本の特別特攻隊員たちはファナチックだったろうか。断じて違う。彼らには権勢欲とか名誉欲などはかけらもなかった。祖国を憂える貴い熱情があるだけだった。代償を求めない純粋な行為、そこにこそ真の偉大さがあり、逆上と紙一重のファナチズムとは根本的に異質である。人間はいつでも、偉大さへの志向を失ってはならないのだ。
 戦後にフランスの大臣としてはじめて日本を訪れたとき、私はそのことをとくに陛下に申し上げておいた。

 フランスはデカルトを生んだ合理主義の国である。フランス人のなかには、特別特攻隊の出撃機数と戦果を比較して、こんなにすくない撃沈数なのになぜ若いいのちをと、疑問を抱く者もいる。そういう人たちに、私はいつもいってやる。《母や姉や妻の生命が危険にさらされるとき、自分が殺られると承知で暴漢に立ち向かうのが息子の、弟の、夫の道である。愛する者が殺められるのをだまって見すごせるものだろうか?》と。私は、祖国と家族を想う一念から恐怖も生への執着もすべてを乗り越えて、 いさぎよく敵艦に体当たりをした特別特攻隊員の精神と行為のなかに男の崇高な美学を見るのである。


[7] << [9] >>
comments (14)
trackbacks (4)


<< 豪新首相に親中派のラッド氏
「アンカー」守屋逮捕でどうなる日米防衛疑獄 >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]