外国人から見た日本と日本人(3)

2007.11.27 Tuesday 00:42
くっくり


 ――について、渡辺氏はこのように論評します。

 「東京クラブでこう語ったとき、アーノルドは日本人の礼儀正しさの本質をすでに見抜いていたのだった。彼によるとそれは、この世を住みやすいものにするための社会的合意だったのである」

 アーノルドが来日したのは1889年(明治22年)11月。この講演は同じ年に行われたそうなので、ほとんど来日直後に彼は本質を見抜いていたということになりますね。

 渡辺氏は「いまこそわれわれは彼が次のように述べた訳が理解できるだろう」と前置きした上で、「ヤポニカ」におけるアーノルドのこんな記述を引用しています。

 国民についていうなら、『この国はわが魂のよろこびだ』という高潔なフランシスコ・シャヴィエルの感触と私は一致するし、今後も常にそうであるだろう。都会や町や村のあらゆる階層の日本人のあいだですごした時ほど、私の日々が幸福かつ静澄で、生き生きとしていたことはない。

 アーノルドは来日後、麻布に家を借りて娘と住み、1891年(明治24年)に日本を離れました。その後、1897年(明治30年)に日本人女性と結婚したそうです。

 渡辺氏はこの項をこう締めくくっています。

 「日本讃美者にありがちな幻滅が晩年の彼を襲ったかどうか私は知らない。しかしそれはどうだって構わないことだ。私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうるかぎり気持のよいものにしようとする合意と、それにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ。ひと言でいって、それは情愛の深い社会であった。真率な感情を無邪気に、しかも礼節とデリカシーを保ちながら伝えあうことのできる社会だった。当時の人びとに幸福と満足の表情が表れていたのは、故なきことではなかったのである」

 アーノルドが日本に存在すると感じた「礼節によって生活をたのしいものにするという、普遍的な社会契約」や「生きていることをあらゆる者にとってできるかぎり快いものたらしめようとする社会的合意」(※2で引用済)といったものは、渡辺氏も示唆しているように、残念ながら現代日本ではすっかり廃れてしまったように見えますね(T^T) 

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