外国人から見た日本と日本人(3)
2007.11.27 Tuesday 00:42
くっくり
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1860〜61年あたりの元号変換、ちょっとあやふやです。今回初めて知ったのですが、「万延」って1年にも満たない期間だったんですね。
Wikipediaにはこうあります。
・安政7年3月18日(グレゴリオ暦1860年4月8日) 江戸城火災や桜田門外の変などの災異のため改元
・万延2年2月19日(グレゴリオ暦1861年3月29日) 文久に改元
なお、この改元の際に朝廷や幕府の一部には翌年は辛酉革命による改元の年(かつ当時の慣習で辛酉改元は2月に行われる事になっていた)なのに、1年足らずのための改元はおかしいとする異論が出されたものの、黒船来航以来の国内の混乱に危機感を抱いた孝明天皇の強い意向を受けて行われたのだという。
さて、前回同様、幕末、明治の文献については、渡辺京二氏の「逝きし世の面影」を全面的に参考にさせていただきました。
その中から、イギリスの詩人エドウィン・アーノルドの発言及び記述について、渡辺氏の解説を紹介しておきます。
アーノルドは日本人の「礼節」を賞讃していますが、当時の欧米の観察者の眼につねに賞讃すべきものとして映ったわけではありません。
たとえば、1859年(安政6年)に江戸に来航した東シベリア総督ムラヴィヨフ一行に同行した医師ヴィシェスラフツォフは、このような日本人独特の如才なさ、立居振舞いのエスプリなるものが「この国に遠い昔からかけられてきた軛(くびき)の名残り」であり、「国民の精神力の最良の部分を吸いつくしてしまった過去の全歴史に圧迫され、強制されて形成されたもの」だと、批判的見解を示しています。
が、アーノルドは、観察者に深い驚きを与えた日本人の礼儀正しさが、彼らがこぞって認めた当時の人々の特性(無邪気で明朗、人がよく親切)のまさに要めに位置する徳目だということを明瞭に認識していた、と渡辺氏は指摘します。
「東京クラブ」での講演におけるアーノルドの言葉(※1で引用済)――
都会や駅や村や田舎道で、あなたがたの国のふつうの人びとと接してみて、私がどんなに微妙なよろこびを感じたか、とてもうまく言い表せません。どんなところでも、私は、以前知っていたのよりずっと洗練された立ち振舞いを教えられずにはいなかったのです。また、本当の善意からほとばしり、あらゆる道徳訓を超えているあの心のデリカシーに、教えを受けずにはいられませんでした。
[7] << [9] >>
comments (14)
trackbacks (4)
<< 豪新首相に親中派のラッド氏
「アンカー」守屋逮捕でどうなる日米防衛疑獄 >>
[0] [top]