沖縄戦集団自決問題まとめ(1)

2007.11.10 Saturday 03:21
くっくり



 今、私たちは平和な時代に生きており、現在の価値観で物事を考えてしまいがちです。が、当時の人々の価値観や置かれていた状況にも思いを馳せねば、真実は見えてきません。
 一言で言って、当時の村民は極限状況に置かれていました。

・戦後の琉球政府で軍人・軍属や遺族の援護業務を担当していた照屋昇雄氏の証言
 ※2006年8月27日付産経新聞記事より(拙エントリー06/8/28付に全文あり)。
 民間人から召集して作った防衛隊の隊員には手榴弾が渡されており、隊員が家族のところに逃げ、そこで爆発させた。隊長が(自決用の手榴弾を住民に)渡したというのもうそ。
 座間味島で先に集団自決があったが、それを聞いた島民は混乱していた。沖縄には、一門で同じ墓に入ろう、どうせ死ぬのなら、家族みんなで死のうという考えがあった。さらに、軍国主義のうちてしやまん、1人殺して死のう、という雰囲気があるなか、隣の島で住民全員が自決したといううわさが流れ、どうしようかというとき、自決しようという声が上がり、みんなが自決していった。

・赤松隊長と村民との間の連絡役をしていた安里(改姓後・比嘉)喜順巡査の証言
 ※曾野綾子氏「ある神話の背景」より。聞き手は曾野氏。
「村の主だった方はあの狭い沢の中で死ぬということについて相談をなさったんですか」
「はい、その人たちは、もう半狂乱になって、恐怖に駆られて、もうこれは当然、捕虜になるよりは死んだ方がましということになって、日本人だという精神じゃっていって、やむを得なかったですね。ことに離島であって、離島になればなるほど、そういう精神が鞏固ですよ。私はあく迄生きるために来たんだから、しいてあれなら、アメリカ兵が来て、一人でも会って戦闘でもして(から死のうと思ったのです)、部隊がもう最後という時に、一人は部隊の連絡に出た筈ですよ。その時に、敵の手榴弾、艦砲と共に手榴弾投げた音があったですよ。それをもう友軍の最後だ、斬り込み総攻撃だと思って、ああなってしまったわけですよ」
「重大決定をなさろうとしていらした時はどういう方々がいらっしゃいましたか」
「自決する時ですか」
「はい」
「村長とか防衛隊の何人か、役場関係の人もおったと思いますが」

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