外国人から見た日本と日本人(2)

2007.10.23 Tuesday 00:30
くっくり


■エドゥアルト・スエンソン=デンマーク人。フランス海軍の一員として1866年(慶応2年)から翌年にかけて滞日。
「江戸幕末滞在記」より

 どの子もみんな健康そのもの、生命力、生きる喜びに輝いており、魅せられるほど愛らしく、仔犬と同様、日本人の成長をこの段階で止められないのが惜しまれる。

■ディアス・コバルビアス=メキシコ人。天文学者。1874年(明治7年)、金星観測の国際共同事業のために来日。
「日本旅行記」より

 日本人に関して一番興味深いことは、彼らが慎み深く、本質的に従順で秩序正しい民族であるということである。天皇と女御の間に最初の女の子が誕生した時に取り行われた祝祭行事や、大久保大使が台湾問題で、日本が中国に要求した賠償金を手にして帰還したさいに開催された祝祭、その他にも多くの機会を通して、横浜、神奈川といった人口六万から七万の都市で、国民が、喧嘩も酔っぱらいも何の混乱もなく、照明と花火と、動物に変装した人々の怪奇な無言劇などを楽しむのを目撃する機会にめぐまれた。どの祭り場でも、通りで酔っぱらいに会ったことがなかった。

■エドワード・シルベスタ・モース=アメリカ人。明治10年代に計3回日本に滞在。東京大学で生物学を講じた。大森貝塚を発見。
「日本その日その日1」より

 世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、日本の子供に如(し)くものはない。

■エドワード・シルベスタ・モース=アメリカ人。明治10年代に計3回日本に滞在。東京大学で生物学を講じた。大森貝塚を発見。
「日本その日その日2」より

 日本人は確かに児童問題を解決している。日本の子供ほど行儀がよくて親切な子供はいない。また、日本人の母親ほど辛抱強く愛情に富み、子供につくす母親はいない。

■メアリ・クロフォード・フレイザー=駐日英国全権公使ヒュー・フレイザー夫人。1889年(明治22年)に来日。
「英国公使夫人の見た明治日本」より
 1890年(明治23年)に鎌倉の海浜で見た網漁の様子の記述

 美しい眺めです。――青色の綿布をよじって腰にまきつけた褐色の男たちが海中に立ち、銀色の魚がいっぱい踊る網をのばしている。その後ろに夕日の海が、前には暮れなずむビロードの砂浜があるのです。さてこれからが、子供たちの収穫の時です。そして子供ばかりでなく、漁に出る男のいないあわれな後家も、息子をなくした老人たちも、漁師たちのまわりに集まり、彼らがくれるものを入れる小さな鉢や籠をさし出すのです。そして食用にふさわしくとも市場に出すほど良くない魚はすべて、この人たちの手に渡るのです。……物乞いの人にたいしてけっしてひどい言葉が言われないことは、見ていて良いものです。そしてその物乞いたちにも、砂丘の灰色の雑草のごとく貧しいとはいえ、絶望や汚穢や不幸の様相はないのです。施し物の多少にかかわらず、感謝の言葉があっさり、しかもきちんと言われます。そしてたとえ施し物がなくとも、けっして不平を言ったり嘆いたりはしないのです。


[7] << [9] >>
comments (16)
trackbacks (1)


<< 「太田総理」外国人に地方選挙権をあげます
「アンカー」防衛省の闇と自衛官の不信感(おまけ:金大中事件) >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]