外国人から見た日本と日本人(2)

2007.10.23 Tuesday 00:30
くっくり


■ルドルフ・リンダウ=プロシャ人。スイス通商調査団の団長として1859年(安政6年)初来日、1864年(文久4年)にはスイスの駐日領事をつとめた。
「スイス領事の見た幕末日本」より
 長崎近郊の農村での記述

 いつも農夫達の素晴らしい歓迎を受けたことを決して忘れないであろう。火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持って来てくれるのであった。私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。……最も大胆な者は私の服の生地を手で触り、ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出して行くこともあった。幾つかの金属製のボタンを与えると……「大変有り難う」と、皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。そして跪いて、可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、全く驚いた次第である。私が遠ざかって行くと、道のはずれ迄見送ってくれて、殆んど見えなくなってもまだ、「さよなら、またみょうにち」と私に叫んでいる、あの友情の籠った声が聞こえるのであった。

■ロバート・フォーチュン=イギリス人(スコットランド出身)。植物学者。北東アジアの植物に興味を持ち、中国で植物を集めるために派遣される。その後、1860年(万延元年)に来日。
「江戸と北京」より
 江戸西南郊へ遠乗りに出かけた時の記述

 この時われわれが通ったような魅惑的な道に、私は他の国々を遊歩した際に出会ったことはなかった。それは時折、英国の田園地帯のいくつかで出会った道を思い出させたが、最初は先入見があったにもかかわらず、英国にはこれと較べられるようなものはないと認めないわけにはいかなかった。広い並木道や、松やとくに杉の木立としばしば出会ったが、その木立は道を縁どってすばらしい日蔭をつくり出していた。時折みごとな生垣も目についた。それはときにはさまざまな種類の常緑樫、ときには杉などの常緑樹でできていた。丁寧に刈りこまれ、あるときは、わが英国貴族の庭園でよくお目にかかるヒイラギやイチイの丈高い生垣を思い出させるほど、高くのび揃えられてた。どこでも小屋や農家はきちんとしており清潔に見受けられた。こんな様子はほかの東洋諸国では見たことがない。……風景はたえず変化し、しかもつねに美しい――丘や谷、広い道路や木陰道、家と花園、そこには勤勉で、労苦におしひしがれておらず、明らかに幸せで満ち足りた人々が住んでいる。


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