外国人から見た日本と日本人(1)

2007.10.16 Tuesday 00:42
くっくり



 さらに1900年(明治三十三年)、北京救出のため連合軍とともに進軍した日本派遣軍は、もっとも華々しい活躍を見せた(北清事変)。彼らはもっとも速く進軍し、もっともよく戦った。彼らはもっともよく軍律に従い、被征服者に対してはもっとも人道的に行動した。

 日露戦争(1904〜5)は同様のことを物語っている。日本は今や、その大きさにおいては世界最強の軍隊の一つを所有していると言っても過言ではない。この事実には――事実と仮定して――さらに驚くべきものがある。それは、日本陸軍が作者不明(という言葉を使わせてもらえば)だからである。世界的に有名な専門家がこのすばらしい機構を作りあげたのではない――フレデリック大王も、ナポレオンもいない。それは、狭い範囲以外にはほとんど知られていない人びとが作りあげたものである。

■バジル・ホール・チェンバレン=イギリス人。1873年(明治6年)〜1905年(明治38年)、日本で教師として活躍。
「日本事物誌2」より

 絵画や家の装飾、線と形に依存するすべての事物において、日本人の趣味は渋み――の一語に要約できよう。大きいことを偉大なことと履き違えているこけおどし、見せびらかしと乱費によって美しさを押し通してしまうような俗悪さなどは、日本人の考え方のなかに見出すことはできない。

(中略)金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。実に、貧乏人は存在するが、貧困なるものは存在しない。ほんものの平等精神が(われわれはみな同じ人間だと心底から信ずる心が)社会の隅々まで浸透しているのである。

 ヨーロッパが日本からその教訓を新しく学ぶのはいつの日であろうか――かつて古代ギリシア人がよく知っていた調和・節度・渋みの教訓を――。アメリカがそれを学ぶのはいつであろうか――その国土にこそ共和政体のもつ質朴さが存在すると、私たちの父祖達は信じていたが、今や現代となって、私たちはその国を虚飾と奢侈の国と見なすようになった。それは、かのローマ帝国において、道徳的な衣の糸が弛緩し始めてきたときのローマ人の、あの放縦にのみ比すべきものである。

 しかし、日本が私たちを改宗させるのではなくて、私たちが日本を邪道に陥れることになりそうである。すでに上流階級の衣服、家屋、絵画、生活全体が、西洋との接触によって汚れてきた。渋みのある美しさと調和をもつ古い伝統を知りたいと思うならば、今では一般大衆の中に求めねばならない。


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