外国人から見た日本と日本人(1)

2007.10.16 Tuesday 00:42
くっくり


■ラダビノード・パール=極東国際軍事裁判のインド代表判事。
1952年(昭和27年)11月、広島高裁での歓迎レセプションにおける発言

 わたしは1928年から45年までの18年間(東京裁判の審議期間)の歴史を2年8カ月かかって調べた。各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中にはおそらく日本人の知らなかった問題もある。それをわたくしは判決文の中に綴った。

 このわたくしの歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることがわかるはずだ。しかるに日本の多くの知識人は、ほとんどそれを読んでいない。 そして自分らの子弟に『日本は国際犯罪を犯したのだ』『日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ』と教えている。

 満州事変から大東亜戦争勃発にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。日本の子弟が歪められた罪悪感を背負って卑屈・退廃に流されてゆくのを、私は見過ごして平然たるわけにはゆかない。彼らの戦時宣伝の欺瞞を払拭せよ。誤られた歴史は書き換えられねばならない。

■ラダビノード・パール=極東国際軍事裁判のインド代表判事。
1952年(昭和27年)11月、東京弁護士会での講演における発言

 日本人はこの裁判の正体を正しく批判し、彼らの戦時謀略にごまかされてはならぬ。日本が過去の戦争において国際法上の罪を犯したという錯覚におちいることは、民族自尊の精神を失うものである。自尊心と自国の名誉と誇りを失った民族は、強大国に迎合する卑屈なる植民地民族に転落する。
 日本よ!日本人は連合国から与えられた《戦犯》の観念を頭から一掃せよ。

■ラダビノード・パール=極東国際軍事裁判のインド代表判事。
1952年(昭和27年)11月、広島市・本照寺『大亜細亜悲願之碑』の詩

激動し 変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ちこまれた
悲願は消えない
  抑圧されたアジア解放のため
  その厳粛なる誓いに
  いのち捧げた魂の上に幸あれ

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