2007.10.16 Tuesday 00:42
くっくり
「明治日本の女たち」より
平民階級を語る上で忘れてならないのは、その多くを占める職人である。
日本が芸術や造形、色彩の美しさを大切にする心がいまだにある国として欧米で知られているのは、彼等の功績である。
職人はこつこつと忍耐強く仕事をしながら、芸術家のような技術と創造力で、個性豊かな品々を作り上げる。買い手がつくから、賃金がもらえるから、という理由で、見本を真似して同じ形のものや納得できないものを作ることはけっしてない。日本人は、貧しい人が使う安物でさえも、上品で美しく仕上げてしまう。一方、アメリカの工場で労働者によって作り出されるあらゆる装飾は、例外なくうんざりするほど下品である。
(中略)もちろん、日本の高価な芸術品は職人の才能と丁寧な仕事をよく体現している。しかし、私が感心したのはそのような高級品ではなく、どこにでもある、安い日用品であった。貴族から人夫にいたるまで、誰もが自然のなかにも、人が作り出したものにも美を見出し、大切にしている。
「ミットフォード日本日記」より
1906年(明治39年)にガーター勲章使節団の主席随員として33年ぶりに3度目の来日をした際の記録
錨を下ろすと同時に、駐日英国大使サー・マクドナルドが、殿下の日本滞在中、その接待の役を務める何人かの著名な日本の政府高官と一緒に乗船してきた。その中でもとくに著名な人物は黒木大将と東郷(平八郎)提督であったが、彼らの偉業は世界中に鳴り響いていたのである。
我々が彼らと初めて会見した時、少なからず興奮していたことは想像できると思われる。
東郷提督は静かな口数の少ない人で、どちらかといえば物憂げな表情をしていたが、きげんの良い時には極めて優しい微笑を浮かべることがあった。彼の表情は優しく穏やかで、話しかけられていない時は、時折、瞑想に耽っているらしく、ほとんどいつもじっと地面を見つめて、頭を少し右へかしげていた。
これと反対に黒木大将は、日焼けしたがっしりした体格で、まるでオリンピック競技の選手のように鍛錬された、典型的な軍人タイプであった。彼はいつも陽気で、愛想がよくどっしりとしていて、物事の良い面を見ようとする人物であった。
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