「アンカー」有本恵子さんご両親インタビュー

2007.07.12 Thursday 01:47
くっくり



有本嘉代子
「甘いでしょ。甘い。私がしたら甘い……(笑)」

青山繁晴
「あのね、いや、僕はほんとに、お世辞言わないですから。美味しいです」

 いつの日か、恵子さんとこの食卓を囲みたい。
 拉致問題の解決とはいったい何なのでしょうか。
 今、私たちに問いかけられているのです。

 …………………………VTR終了…………………………

image[070711-18ao1.jpeg]青山繁晴
「はい、これが恵子ちゃん……、でね(涙)、あ、ごめんなさい。妹さん出てきたでしょ。ご家族から見たら、似てないとおっしゃってたけど、似てますよね」

山本浩之
「似てますねー」

青山繁晴
「恵子ちゃん、きっとその、さっきの郁子さんのような感じで、健康に暮らしてると僕らは思いたいんですね。それで、さっき陰膳が出てきたでしょ。陰膳って昔から日本にある習慣で、これを人情話、普通のそういう話だと僕も最初は思ってたんで、正直言うとね。しかしさっき言ってましたけど、あまりにも美味しかったの。で、お母さん、有本嘉代子さんはもう81才になられてて、80超えてるでしょ。で、僕も自分の母親が80超えてるんですけど、昔、若い時のような味付けはやっぱりだんだんできなくなってて、正直、僕の母親には言わないけれど、味変わったなと思うわけですよ。ところが有本嘉代子さん、81才の作られたあの陰膳の味がね、ほんとにレンコンだけじゃなくてオクラとかね、それからさっきのお魚とかね、えーって言うぐらい美味しかったんですよ。それで僕、あの時はただ美味しいと言って帰ったけど、東京に帰って土日過ごしてるうちに、たまたまあるお菓子屋さんと話する機会があってですね。そのお菓子というのは、『作る職人が、本当に誰か特定の人に食べさせたいなと思って作ったら、急に味が変わって、そのお菓子だけが売れるんですよ』ってことをね、東京のけっこう古いお菓子屋さんの話を聞いて、僕ははっと思い当たって、そうか、あれがあんなに美味しかったのは、お母さんが恵子ちゃんに食べさせたいからだったんだなと(涙)、正直僕は、それまで気がつかなくて、何て浅はかだと思いますけど、初めてわかったんですよ。それで、お母さん、さっき正直に言われてたでしょ。行方不明になってもう20年経ってるわけだけどね、20年以上経ってるわけだけど、陰膳始めたのは、実はまだ8年ぐらい前ですと、お母さん嘘つかない人だから、飾らないから、そう言われてたけど、その8年前っていうのは、北朝鮮の子供たちが飢えてるというのをテレビでたまたま見て、あ、自分たちは、『ひょっとして恵子はね、石岡さんという人と結婚して、ひょっとしてある部分で幸せなのかな』と思ってたけど、そうじゃなくて飢えてるんだということがわかって、そこから陰膳を作り始めたわけですね。そうすると、あの美味しい味、今日みんなで現場へ行きたいと最初に言いましたけど、ほんとにひとかけらでも、みんなにね、今日、佑月ちゃんにも、室井さんにもね、岡安さん(男性アナ)にもね、みんなにも食べてほしいと思うぐらいなんですよ。そうすると、僕らが拉致被害者の運命を考える時に、今、たった今、この時間もね、誘拐されていってまだ帰ってきてない100人を超えるであろう人々、小泉さんは5人は取り返してくれたけど、その後の再訪朝で家族を戻したためにそこで止まってしまった。じゃあ残されてしまった人々は、最近話も出なくなってる人々は、今どんな生活してるかというのは、僕も含めて、この僕も含めてね、ほんとはよくわかってなかったんじゃないかなと思うんですよ。だからあの陰膳がみんなに訴える意味っていうのは、ただの人情話じゃなくて、僕たちが本当に拉致被害者のことを考えてるのか、考えてないのかということを、僕、問いかけてると思うんです。それで今日、僕、あえて最後にこういうキーワードをみなさんに見せたいんです(フリップ出す)」

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