誰がために散る もう一つの「特攻」(6)〜(8)

2007.06.26 Tuesday 01:19
くっくり


 私は“特攻”について、親や教師からは、「上に命令されて嫌々死んでいった」「犬死にだった」というふうにしか教わりませんでした。
 なぜ彼らが「志願」したのか、どのような訓練をしていたのか、何を言い残して出撃していったのかなど、ディテールを聞かされたことは一度もありません。

 今、子供たちが、家庭や学校で“特攻”について教わることはあるのでしょうか。
 もしあったとしても、私がされたような教え方では、当時の価値観について知ることはもちろん、当時の目線で戦争を考えてみるなどということは、とうてい不可能でしょう。

 私は大人になってから、自分で本を読んだりして、当時の国際情勢や日本が置かれていた立場、当時の人々の価値観がどのようなものであったかなどを、少しずつ知るようになりました。

 ご遺族の方々、また“特攻”を果たせなかった竹林さんや吉留さんのような方々が、英霊の思い(ある種の重荷)を背負いつつ戦後日本の復興に尽くされたことは、今なら十分理解できます。

 また、私は以前は「当時の若者は全体主義の波にのまれていたから、自分の頭で考えて動くということはほとんどなかったんだろうな」というふうに考えていたんですが、これも間違いだとわかりました。

 彼らは当時、国内外の状況を冷静に見据えながら(入ってくる情報はそう多くはなかったでしょうが)、ちゃんと自分の頭で考え、決断をし、行動していた。
 これから日本はどうなっていくのか、自分たちは国や家族の将来のため何を為すべきなのかを真剣に考え、誇りを持って行動していた。
 そのことに気づかされるようになりました。

 一例――。
 産経新聞では【誰がために散る もう一つの「特攻」】の連載が終了した直後に、【死を考える 第8部・最終章 戦争と平和】という連載がスタートしたのですが、その6回目(大阪版6月18日付掲載)、特攻隊について書かれた中に、このようなくだりがありました。

 作家、山岡荘八のルポ「最後の従軍」によれば、山岡は20年4月、戦況が悪化する中、海軍報道班員として鹿児島の鹿屋基地に赴任した。そこには人間爆弾と呼ばれた「桜花」の部隊が出撃を控えていた。彼らは学生や大卒の「学鷲(がくわし)」と呼ばれる志願兵だった。

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