誰がために散る もう一つの「特攻」(6)〜(8)

2007.06.26 Tuesday 01:19
くっくり


 ちなみに仁科中尉は昭和19年11月20日に出撃、米油漕艦「ミシシネワ」を撃沈、戦没しました。享年21才。仁科中尉のご遺族は黒木少佐のご遺族同様、戦後つらい思いで過ごされたそうです。

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 【誰がために散る もう一つの「特攻」】の全記事から心に残った声をピックアップしてみました。

●周南市回天記念館の安達辰幸(74)=当時小学5年生
<現代の感覚でかわいそうという人がいるが、隊員の気持ちを理解するには、当時の時代背景や価値観、当時の目線で見ないと分からないと思う。18歳や19歳の人でも、わずかな犠牲で多くの日本人を救うんだという自負があった>

●竹林(旧姓・高橋)博(82)=回天搭乗員
<命令されたからといって死ねるものではない。国や家族を守ろうという気持ちがあるからこそできるのだ>
<まな板のコイどころではなかった。早く出撃させてくれ。毎日がそんな気持ちだった>

●吉留文夫(80)=回天搭乗員
<本土が戦場になれば大量殺戮、国土崩壊は目に見えている。戦争がいいとか悪いとかではなく、何とか敵の侵攻を食い止められないか。みんながそう考えた。平和を守るということは死ぬ覚悟がなければできない>
<映画なんかで、生きていてよかったという場面があるが、それはウソだと思う。戦後、大暴れして特攻崩れといわれたが、それはある種、死に場所を探していたんだ。戦友に申し訳ないと>

●黒木博司=回天考案者。当時20歳。大東亜戦争勃発直後に両親に出した手紙
<皇国の興廃此の一戦に有之、事容易ならず、神武肇国以来の最大国難にして、長期の困苦に堪ふる忍堪の力こそ最後の決と存じ候。此の長期の忍苦は、一に国民の団結、国民精神の振作一致に他ならず候>

●都所静世=回天搭乗員。享年21歳。出撃前に義姉に残した遺書
<それにつけても、いたいけな子供達を護らねばなりません。自分は国のためというより、むしろこの可憐な子供たちのために死のう>

●森稔=回天搭乗員。当時19歳。出撃前に残した遺書
<まだ吾が国体の尊厳なるを自覚致し候はず、徒に戦局の勝敗に拘泥致し、利欲に走り候輩多数居り候と聞き及び候は残念の極に御座候。一日も早く国の内外を問わず完全一体となり、勝利に只管突進致され候如く、皇国の空より常に御祈り致し居り候>


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