2007.06.26 Tuesday 01:19
くっくり
いつしか、おしげさんと回天搭乗員は、単なる仲居と客の関係ではなくなっていた。おしげさんは回顧録などで搭乗員との思い出を語っている。
<なかには私の肩にすがり、膝(ひざ)にもたれて甘える方もあって、その幼な幼なした童顔に、はっと胸をつかれることもありました。まだ17、8から19歳ぐらいの若い人ばかりで、厳しい訓練の明け暮れのうち、束の間の思いは、やはり国許のお母さんだったのでしょう。「お母さんのような気がする」などと行って、私にもたれかかって来られた、あのあどけなさを思い出しますと、今でも目頭が熱くなるのでございます>
■ ■
おしげさんにとって忘れられないの搭乗員の1人が芝崎昭一だ。北海道の農家出身で18歳の少年だった。
出撃前、「松政」に来た芝崎は「母ちゃん、詩吟を聞いてよ。国を出るとき、母ちゃんにも聞かせたから…」。顔を真っ赤にしながら朗々と吟じる芝崎の顔を見ながら、<芝崎さんは今、母親の前にいるのだ>と目を潤ませたという。
金剛隊の都所静世は<おふくろさんは死んでいないが、最後はお母さんと叫んで死にたいと>と言い残して出撃。轟隊の小林富三雄は<慈悲も及ばぬ御世話心より感謝致しています>と遺書を残した。
おしげさんと回天搭乗員の付き合いは1年に満たない。
<私の生涯の全部を賭けたほどの意味があったように思います。自分の子供を持たない私が、100人に余る若い人たちに「お母ちゃん」と呼ばれてあまえられたことのしあわせ…けれどもその人たちの墓標を、心にいっぱいたてていることを思えば、私は幸福者なのでしょうか。それとも最も不幸な女なのでしょうか>
=敬称略
(宮本雅史)
産経新聞朝刊大阪版07年6月13日付社会面掲載
誰がために散る もう一つの「特攻」(8)
【残されし者】生と死の重さを語り継ぐ
「回天の母」と呼ばれた、おしげさんこと倉重アサコさんは大津島・回天基地の部隊解散の日、生き残った搭乗員と初めて島に渡り、ある約束をした。
「10年後、最初の出撃記念日の11月8日にみんなで松政で会いましょう。それまで私がこの大津島をお守りします」
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