2007.06.26 Tuesday 01:19
くっくり
「大津島で回天の慰霊祭が行われ、徳山湾へ艦で行きました。博司はもちろん、博司とともにされた人たちのご冥福を祈ろうと手に持てるだけの花を持って行ったんでございます。その花を海へ投げようとしましたところ、近くにいましたご遺族の方々が『私にも花を分けてください』といわれ、そしてどの方も皆『息子よ!よくぞお国のために』と言って花束を投げられたのを聞きまして本当にうれしくて、後で一人泣きしたんでございます。ご遺族の人たちは博司を恨んどりゃせん。きっと回天に乗っていった人も博司の心をよく受け継いでいてくれたと思います」
わきは47年1月20日、息子のもとへと旅立った。79歳だった。
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【写真】徳山湾を望む回天碑はいまも黒木らの思いを伝える=山口県・大津島
黒木の生きざまからは、護国精神だけでなく家族への思いも伝わってくる。海軍機関学校時代、腸閉塞(へいそく)で倒れた母親のわきを見舞った黒木は歌を詠み、そっと布団の下に忍ばせていった。
<大いなる悲願に立てる国の子の 母をばいかで神うばふべき>
<君がため母おきさりて行く我は 尊く悦しくかなしかりけり>
<荒波の世に生く子らの楽しみは 両親ありて嬉び見るとき>
わきが回復すると、<きっと治ると信じていたものの何だか夢のように嬉しい。お母さんの字、一字々々が又楽しく私の心を生々と明るく励まして呉れます>と喜びを伝えている。
橋本は「家族を愛し、国を愛して戦った。そういう人に対する感謝の心を失っていることが今の日本をおかしくしている」と話す。妹の教子もこう嘆いた。
「親兄弟や友達を簡単に殺したり、どこかおかしい。日本人の本当の精神を忘れてしまっているようです。兄たち英霊が期待したのは今のような日本ではないはずです」
=敬称略
(宮本雅史)
産経新聞朝刊大阪版07年6月12日付社会面掲載
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