「日本共産党史」から消された「朝鮮総連」結成秘話

2007.05.08 Tuesday 01:52
くっくり



 ここにキー・パーソンが登場する。韓徳銖である。後に朝鮮総連中央常任委員会議長、北朝鮮最高人民会議常任委員を歴任する彼は、1907年(明治40年)慶尚北道で生まれている。1927年(昭和2年)渡日して、日大専門部に入学(後に中退)。共産党系の労組である全協に加入し、1934年(昭和9年)、熱海線トンネル工事の争議に加わり検挙される。戦後は朝連に参加。朝連中央本部総務局長などを歴任した。

 韓徳銖は、共産党の指導下で日本革命を共に目指したいわゆる“民対派”に対して、朝鮮や朝鮮労働党との結合を(おそらく朝鮮労働党側の内意を受けて)主張した“民対派”として、在日朝鮮人運動の路線転換に主導的役割を果たした。

 1955年(昭和30年)3月11日、民戦は中央委員会を開いた。その席で韓徳銖は“在日朝鮮人運動の転換について”演説する。反対派のヤジが激しく、中断せざるをえなくなった。だが、彼の作った路線転換への流れは変わらなかった。

 5月23日、浅草公会堂で最後の民戦6全大会が開かれ、翌24日解散する。

 こうして1955年5月25日、今からちょうど50年前、民戦解散の翌日、朝鮮民主主義人民共和国支持、日本の内政不干渉を掲げて、在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)が結成された。共産党に党籍のあった在日朝鮮人は一斉に離脱した。

 同年7月24日、共産党は民族対策部を解消。朝鮮人党員離党の方針を決定することで、これを追認した。

 戦前、戦後の最も苦しかった時代、共産党の中で最も困難な仕事を引き受け、党を支えたのは在日朝鮮人の人々であった。共産党の正史では、そのことに一言も触れられていない。

 半世紀という歳月は、共産党と朝鮮総連という二つの組織を、全く別々の遠い所まで連れていった。在日朝鮮人と日本共産党が、共に夢見た濃密な“時”を振り返る者ももういない。

 私は残念ながら筆者の林玲氏のことを知りません。
 ネットで検索したところ、特ア関連で若干お名前は挙がってくるんですが、経歴などは挙がってきませんでした。
 新進のジャーナリストさんなのでしょうか?
 あるいは内容が内容なので、普段とは別のお名前を使われてるとか、そういうことなのでしょうか?


※拙ブログ関連エントリー
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