安倍さんとの論戦から逃亡した朝日の若宮啓文
2017.12.22 Friday 00:17
くっくり
少し前の号になりますが、その川村さんが「月刊WiLL」2017年8〜9月号の2カ月にわたり紹介したのが、朝日新聞の論説主幹や主筆を務めた、故・若宮啓文氏の卑怯なエピソード。
「言論戦から逃げては言論機関とは言えない」(8月号の見出し)
「買わなければいけないケンカから逃げる朝日のお利口さん」(9月号の見出し)
そもそもの始まりは、安倍総理が小泉内閣の官房副長官だった頃、2003年2月13日号「週刊文春」誌上で、「朝日新聞の北朝鮮報道はおかしい」と断じたことでした。
朝日の論調と違って北朝鮮に懐疑的だった川村さんは、安倍さんの指摘にヒザを叩きました。
同時に、安倍さんと朝日を代表できる者が北朝鮮問題について討論するという、企画を思いつきました。
朝日がどうして北朝鮮贔屓になったのか知りたい読者や社員はいるはずなので、安倍さんにはそういうところを聞いてもらう。
一方、自民党も長い間、拉致問題に必死に取り組んできたとは言いがたい。
そんな両者が正直に話し、これからどうするのかを語り合う。
こういう討論は例がないだろうし、注目されるのは間違いない!
ということで、川村さんは面識のある論説主幹の若宮啓文氏に相談しました。
若宮氏も「週刊文春」を読んでいました。
川村さんが「黙っているの?」と聞くと、若宮氏は「何かしなければと思ってはいるんです。だけど新聞ではやりにくいんですよ」と。
新聞の世界しか知らない者には「週刊誌など、相手にするな」ということだろうと、川村さんは感じたそうです。
が、若宮氏が「週刊朝日」ならばやってもよいという趣旨の返答をしたので、川村さんは「君は逃げないよな」と念押しました。
若宮氏は「僕は逃げませんよ」と言いました。
そこで「週刊朝日」の編集長に来てもらい、趣旨を話すと、編集長は「3週間でも5週間でも、好きなだけやって下さい」と大喜び。
若宮氏はその時も「僕は逃げませんよ」と言いました。
ところが、若宮氏は逃げた。
しかも、逃げることはその夜の内に決めていたのです。
というのも、若宮氏と「週刊朝日」の編集長を引き合わせてから4〜5日後に、川村さんが対決の日時や場所が決まったかどうかを編集長に電話で尋ねたところ、編集長にこう言われたそうです。
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