終戦時の今上陛下にまつわるエピソード

2006.12.24 Sunday 02:55
くっくり


 おっと、その前に予備知識として一点だけ。
 今上陛下(当時は皇太子殿下)は終戦時、奥日光の湯元に疎開されていました。南間(なんま)ホテルという旅館に滞在されていました。

玉音放送に涙が

 八月十五日、正午に陛下の重大放送があるというので、午前の授業が終わると、学習院の生徒(殿下を除く)は、南間ホテルの二階の廊下に集まって拝聴した。しかし、ガーガーと雑音がはいって、さっぱり聞きとれなかったので、先生が内容を確かめたうえで、あまり生徒を刺激しないよう婉曲に説明して聞かせた。

 殿下はお立場上、別室でお聞きになられたほうがよかろうということになり、ホテルの二階の御座所に帰られ、穂積東宮大夫、石川主任傅育官、門倉、山田、東園、村井、黒木、栄木の各侍従が侍立して、一同直立して、御座所備え付けのラジオで聞かれた。このラジオは雑音もはいらず、明瞭に聞きとることができた。

 ご放送の内容については、だれもそのときまで知らなかった。一同は、かたずをのみ、くい入るように玉音に耳を傾けていた。ご放送が進み、終戦のご放送であることがわかったとき、侍従たちの間から、嗚咽の声がもれてきた。

 ラジオの前にきちんと正座して聞いておられた殿下は、急に目を閉じ、頭を深く垂れ身動きもせずじーっとお聞きになっておられたが、しっかり握りしめられた両手はかすかにふるえ、目がしらには涙があふれ光っていた。

 ご放送が終わってからも、しばらくそのままのご姿勢ですわっておられた。

 まだあどけない十一歳の少年であったが、しっかり結んだお口元には堅いご決意のほどが拝察され、お気の毒に思いながら、また凛々しさに心打たれるものがあった。

 やがて穂積東宮大夫は、いたわるように殿下のおそばに近づいて、自分も隣にすわって(御座所は日本間であった)ものしずかに孫をさとすような調子で、ただいまのご放送の内容をご説明申し上げ、とくに戦争に負けて終戦となったが、日本国が滅びたのではない、日本はこの敗戦のあらゆる困難を克服して、再びその存立を確実にし、繁栄をとり戻さなければならないのである。この日本再建の時代に際会された殿下のご責任と、ご任務は、まことに重大である。どうかいたずらに悲嘆にくれることなく、専心ご勉学にはげまれて、きょうの悲壮なご決意を一生お持ち続けになり、明天子におなり遊ばしますようにお願い申し上げる、というような意味のことをお話しされた。

[7] beginning... [9] >>
comments (21)
trackbacks (2)


<< 台湾の教科書と「カイロ宣言」
もっと核論議しよう! >>
[0] [top]


[Serene Bach 2.04R]