朝鮮総督府官吏だった野伏翔監督の父「気を遣っているのはいつも日本人の側だった」

2017.04.20 Thursday 01:04
くっくり


 誤解されている人が多いですが、朝鮮統治時代のいわゆる県知事にあたる方々にしても三分の一は現地の朝鮮人で警察官だって半分以上は向こうの方なんです。
 「従軍慰安婦」の問題が持ち出されたころ、父はまだ生きていましたからよく「冗談じゃない。そんな馬鹿な話ありえない」「そんなことが実際あったら、われわれは殺されちゃったよ、周りから」と言っていました。
 私は昭和二十七年生まれですから、両親たちが身ぐるみ剥がされて帰ってきたあと生まれたわけです。両親から引き揚げのころのいろんな話を聞きましたが、ただ、今言われているほど悲惨な話ばかりでは決してなくて、いい話もあるんです。馬山では韓国人が自警団までつくって母の家族を守ってくれて、ちゃんと日本に送ってくれた話とか。そうした話だってちゃんとあるんですよ。

 _________________________________引用ここまで


 日本統治時代の朝鮮において、議員や県知事や警察官など公職に就いていた朝鮮人の割合は意外と高く、要職を務めた朝鮮人も少なくありませんでした。
 このことは、かつて中山成彬さんも国会で取り上げてくれました。

【当時の朝鮮の道議会選挙、当選者の8割以上の人が朝鮮人。忠清南道の知事は初代、6代、8代、9代、10代、昭和20年に至るまで全部朝鮮人。他の道も同じようなものでした。この大田警察、ナンバー2の警部、高等刑事も朝鮮人。このような体制で、官憲の強制連行は考えられないんじゃないですか】

13/3/8付:中山成彬議員が衆院予算委で日本の真の朝鮮統治(インフラ整備、創氏改名、慰安婦など)を語ってくれました

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