【過去】開戦の日:小野田寛郎さん語録

2006.12.08 Friday 12:45
くっくり



 1951年(昭和26年)の参院法務委員会における大橋武夫法務総裁の「国内法においてはあくまで犯罪者ではない」という答弁の2年後の1953年、戦争犯罪による受刑者の赦免に関する国会決議が行われ、戦犯の問題は公的にケリがつきました。
 当時の国会では、どの議員も、東京裁判は不公正な裁判であったという認識に立ち、戦犯の赦免を全会一致で議決したのです(当時の「官報号外」に詳しい)。

 国際的には、同じ1953年、当時の外務省参事官の広瀬節男氏が「戦犯は、犯罪者としてではなく、公務でなくなった人と認定しても、国際関係上から見ても支障ないと認める」と明言しています(第16回国会衆議院厚生委員会議事録第23号)。
 そして同年の戦犯赦免の国会決議の後押しを受け、1956年に「A級戦犯」が、1958年に「B・C級戦犯」が、サンフランシスコ条約第11条の赦免条項にもとづき、関係各国の同意を得て全員が釈放されました。

 この国会決議に代表される見解こそ、当時の大多数の日本国民(戦犯の釈放に4000万人の署名が集まった)と日本政府の共通認識でした。だからこそ、戦傷病者戦没者遺族等援護法が修正され、戦犯遺族にも年金は弔慰金が支給されることが決定したのです。

 ところが1985年、衆院外務委員会で、社会党の土井たか子議員から「戦犯は日本も受け入れた東京裁判によって『平和に対する罪』で処刑されたのであり、戦没者とは違う」というトンチンカンな発言が飛び出しました。
 戦犯の名誉回復のために、民主主義的な手続きで成立した国会決議や、先人の努力を無駄にするような言動が、自民党議員の間でも顕在化するようになるのは、この頃からです。


※参考文献
 ・雑誌「正論」06年12月号 「知は力なり」安倍首相の対中韓政策を考える/麗澤大学外国語学部長 中山理

※拙ブログ関連エントリー
 ・8/26:02首相の靖国参拝反対派への反論(中)【暫定版】
 「<5>『A級戦犯』を分祀すべき?」のあたり


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