映画「この世界の片隅に」が追求したのはイデオロギーよりリアリティー
2016.12.09 Friday 18:39
くっくり
つまり、周作は一途なのに、「すず」は身持ちがあまりよろしくない…てなふうに、誤解してしまった人もいたのではないかしら?
一方で、私が原作で一番ゾッとしたというか、何とも言えない感情に襲われた、「すず」の近所のおばさんのエピソード*3をカットせず残してくれたことについては、監督に感謝したいです。
*3 被爆した行き倒れの兵隊を自分の息子だと気づいてあげられなかったおばさん。2013/8/12付で紹介しました。
小さなエピソードですが、原爆の残酷さを、人間の感情の深い部分にじわりと訴えかける、秀逸なエピソードだと私は思っています。
image[161209-06taikyokuki.JPG]
もう1つ、触れておきたいのは、原作ファンの間で一部話題になっていた、昭和20年8月15日の玉音放送後、呉の町に韓国国旗の太極旗のような旗が1本掲げられる場面です。
ここは、イデオロギー色の非常に薄い原作で唯一、イデオロギーめいたものが示された場面でした。
原作ではたった1コマ、映画でも遠目にほんの数秒です。
ところが、旗を目にした時の「すず」のセリフが、実は原作とは全く違っているんです。
セリフを変えた理由について、監督は産経新聞のインタビュー(「この世界の片隅に」をめぐる“国旗”論争 政治的意味合いを回避したあるセリフとは)で、こう語っています。
「すずさんは当時食べていたお米の何%が朝鮮米か台湾米かを知っていた。あるいは、お米がなくなった代用食として入ってきた大豆は満州産だった。だから、 自分は海の外から来たお米でできていると言った方が、すずさんらしさがより出るかな、と。彼女は朝鮮米を食べていたっていうことなんです」
「すずは、本当に朝鮮のお米を食べていたということ。これはリアリティーだと思ったんですよね」
「原作にもあるし、あの旗を削ると、むしろ政治的な意味になると思う。今までご飯を作ることで彼女が存在意義を持っていたんだとしたら、彼女はそのことを認識すべきだということで、このセリフになっているんです」
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