さらば古舘!報ステ妄言集

2016.04.01 Friday 01:46
くっくり


 
「考えてみますと、私、2004年の4月5日に、この『報道ステーション』という番組は産声を上げました。それから12年の歳月があっという間に流れました。何とか、私の、テレビ局、古巣である、学舎である、このテレビ朝日に貢献できればと、いう思いも強くあって、この大任を引き受けさせていただきました。おかげをもちましてですね、皆さん、風邪などひとつ引くこともなく、無遅刻・無欠勤で12年やらせていただくことができました。これもひとえに、テレビの前で今、ご覧になっている皆様方の、支えあったればこそだなと、本当に痛感をしております。ありがとうございました。

 私は毎日毎日この12年間、毎日毎日テレビ局に送られてくる皆様方からの感想、電話、メールなどをまとめたものをずーっと読ませていただきました。それはお褒めの言葉に喜び、そして、徹底的な罵倒に傷ついたこともありました。でも全部ひっくるめて、ありがたいなと今、思っております。というのも、ふと、ある時、気づくんですね。いろんなことを言ってくるけれども、考えてみたら、私もこの電波という公器を使って、良かれかしとはいえ、いろんなことを喋らせていただいている。絶対どっかで誰かが傷ついてるんですよね。それは因果はめぐって、自分がまた傷つけられて当然だと、だんだん素直に思えるようになりました。こういうふうに言えるようになったのも、やはり皆さん方に育てていただいたんだなと、強く思います。

 そして、私が、こんなに元気なのに何で、辞めると決意をしたのかと、いうことも簡単にお話しするとすれば、そもそも私が12年前に、どんな報道番組をやりたかったかと、いうことにつながるんです。で、それは実は言葉にすると簡単なんです。もっともっと普段着で、もっともっとネクタイなどせず、まあ、言葉遣いも普段着で、普通の、司法言葉とかじゃなくて普通の言葉で、ざっくばらんなニュース番組を作りたいと真剣に思ってきたんです。ところが現実は、そんなに皆さん甘くありませんでした。

 たとえばですね、『いわゆる、これが事実上の解散宣言とみられています』。『いわゆる』が付く。『事実上』を付けなくてはいけない。『みられている』というふうに言わなくてはいけない。これはね、どうしたって必要なことなんです。やっぱりテレビ局としても、放送する側としても、誰かを傷つけちゃいけないということも含めて、二重三重の言葉の損害保険をかけなくてはいけないわけですよね。そして裁判でも、『自白の任意性が焦点となっています』と。『任意性』。ふだんあんまりそういう言葉、使わないですよね。ほんとに、そういうふうに語ったのか、あるいは強制されたのかでいいわけで、ほんとは。たとえばですね、これから、今夜の夕食だという時に、今日の夕食は、これは接待ですか、任意ですかとは言わないわけです。だけどそういうことをガチッと固めてニュースはやらなくてはいけない。

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