なぜ元慰安婦は核心部分で“間違う”のか?
2016.03.14 Monday 02:07
くっくり
それを加味して、14歳というのは満年齢ではなく、数え年だったとしましょう。
それでも、彼女が慰安婦にさせられたのは、1939年です。
※数え年とは、生まれた時に1歳で、正月毎に+1する数え方です。
元日からその年の誕生日前日までは、「数え年=満年齢+2」。
誕生日当日から12月31日までは、「数え年=満年齢+1」。
金福童氏の場合、4月22日生まれなので、
1月1日〜4月21日は「数え年=満年齢+2」で、
4月22日〜12月31日は「数え年=満年齢+1」になります。
1926年4月22日生まれの彼女が数え年で14歳になるのは1939年。
(1939年1月1日〜4月21日=満年齢12歳 数え年14歳、
1939年4月22日〜12月31日=満年齢13歳 数え年14歳)
さらにもうひとつ注意すべき点があって、
元慰安婦の方々は、慰安婦を“やらされていた”期間を長く見せるため、「足かけ」で言うことも多いそうです。
極端な例で言えば、1943年12月から1945年1月まで慰安婦をしていた場合、期間は実質1年と少しですが、「足かけ」では3年になります。
金福童氏の場合、「(数えで)14歳の時(1939年)から(足かけ)8年、慰安婦をさせられた」としても、1946年になってしまいます。
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金福童氏は2013年5月、橋下徹大阪市長(当時)との「公開面談」を当日にドタキャンした人でもあります。
彼女とともに来日した吉元玉氏は、「11歳でハルビンの慰安所に連れて行かれた」と証言している人で(面談ドタキャンで支援団体会見の書き起こしを参照)、この3月11日、ニューヨークの国連本部で潘基文事務総長と会談しています。
あと、金福童氏は「ヘリコプター部隊の基地に連れて行かれた」と証言していたという情報もあります。
未確認ですが、もし本当にそんなことを言ったのだとしたら、明らかな虚偽、あるいは勘違いでしょう。
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