鈴木史朗さんが靖國神社のみたままつりで出会った“奇跡”と英霊への“お返し”
2016.01.25 Monday 02:12
くっくり
【鈴木史朗「私と靖国神社―英霊へのお返し」】
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[(上)天津市淡路街という日本人租界の民団住宅前で撮影したもの。鈴木さんと二人の妹さんと、近所の中国人の子が一緒に写っています。(下)天津市須磨街の鈴木さんの自宅付近で撮ったもの。近所の中国人の楊車(輪タク)夫が楊車に鈴木さんたちを乗せて遊ばせてくれています。以上画像は「WiLL」2011年4月号の鈴木さんの寄稿「南京大虐殺は真実ではないと思う理由」より転載]
■畏れ多かった靖国参拝
靖國神社にはある思いがあって、昨年(2010年)のみたままつりではじめて参拝するまで、長らく足を運ぶことができずにいました。
昭和十三年生まれで軍国少年だった私は、物心ついたときから「自分もお国のため、名誉の戦死を遂げて靖國神社に祀られるのだ」と思い込んでいました。ところが、昭和二十年に終戦を迎え、私は意に反しておめおめと生き延びてしまった。
戦後は、アメリカ映画の『ターザン』に夢中になり、急速にアメリカナイズされていく自分がとても恥ずかしく、畏れ多くて、「こんな自分を英霊の前にさらすことはできない」と、靖國にはどうしても訪れることができなかったのです。
そんな想いを長年持ち続けていた私が昨年(2010年)、みたままつりの奉納の舞台に立ったのは、ある歌がきっかけでした。
私はカラオケが大好きで、十二年前からTBS主催のカラオケ道場に参加していました。本格的な道場で二百五十人もの人が所属し、半年に一度はきちんと衣装を着て発表会を行います。
十二年の研鑽で得たものは、「上手い下手ではなく、人の心を打つものが『よい歌』である」ということでした。そして発表会に際し、私が「これを歌おう。この歌ならば聴いた人に何かを感じてもらえるはずだ」と考えて選曲したのは、徳土良介作詞、陸奥明作曲の「あゝ草枕幾度ぞ」でした。
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[「私の写真館」様より]
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