鈴木史朗さんの引き揚げ体験「私たちの財産を取り上げた中国が、いまも謝罪や賠償を求めてくるのは許せない」
2015.08.10 Monday 01:22
くっくり
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総力大特集〜戦後70年、私はこう考える
【こんなにもきれいな国、天国みたいだ】
鈴木史朗(フリーアナウンサー)
1938年、京都生まれ。62年、早稲田大学法学部卒業後、TBSに入社し、アナウンス部へ配属。『さんまのスーパーからくりTV』ご長寿クイズの司会や『水戸黄門』のナレーションも務める。
〈壮絶な引き揚げ体験〉
私の一家は戦前、父が中国で日中貿易や軍需関係の事業をしており、北京、天津に会社を持っていました。当時の中国は実に穏やかで、子供が一人で遊んでいても何の問題もなく、もちろんデモも暴動もありませんでした。
現在、中国では年間十万件から十五万件のデモや暴動が起きていると言われています。戦中の中国はいまよりも治安がよく、平和だったのです。日本の統治に、中国市民としては何の不満もなかったのでしょう。
日本の軍人たちは実に模範的な兵隊さんで、むしろ日本兵は拍手で迎えられていたほどです。それは南京でも同じでした。当時、南京大虐殺などはなく、幼かった私は南京陥落から四〜五年後の南京市内にも行きましたが、中国人は日本人を恨むどころか、私を抱き上げて頬ずりしてくれたのです。
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[(上)天津市淡路街という日本人租界の民団住宅前で撮影したもの。鈴木さんと二人の妹さんと、近所の中国人の子が一緒に写っています。(下)天津市須磨街の鈴木さんの自宅付近で撮ったもの。近所の中国人の楊車(輪タク)夫が楊車に鈴木さんたちを乗せて遊ばせてくれています。「WiLL」2011年4月号の鈴木さんの寄稿より転載]
戦中の中国というと、何かそこかしこで戦争ばかりやっていたようなイメージですが、実際はそうではない。ともすれば、中国は内地よりも穏やかだったと言っていいでしょう。
戦闘が起こっている最中も、中国人の少年が一生懸命、河を泳いで渡ろうとして溺れたところを、日本の軍人さんがさっと軍服を脱いで飛び込み、少年を助け上げて中国の陣地に届けたという話を、軍人さん本人から聞いたこともあります。
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