昭和天皇の質素な暮らしと共産党員によるプラカード事件

2015.04.27 Monday 03:00
くっくり


 それで聞けば、皇室の御物(ぎょぶつ。天子の所有物、あるいは皇室の所蔵品)のなかには、国際的に価値のあるものが相当あるとのことだから、これを代償としてアメリカに渡して食糧に代えて、国民が飢餓を一日でもしのぐようにしたい」
 そして帝室博物館の館長に命じてつくらせてあった皇室御物の目録を農相に渡された。天皇の意向は幣原喜重郎首相(在任昭和20年10月〜21年5月)を通じてマッカーサーに伝えられた。しかし、マッカーサーは「それは皇室の人気取りだ。そのようなものは必要ない。私が責任を持って、かならず本国から食糧を輸入する方法を講じよう」といって、緊急食糧を日本に放出するようワシントンに求めた。
 昭和54年8月、宮内庁記者団とのご会見のときに、記者団から当時のことについて質問が出された。
「そういうことがあったのは事実です。しかし、自分のしたことですから、あまり公にしたくはありません」
 これが天皇のご返事であった。】
[SAPIO 2009.2/11・18合併号「昭和天皇と私たち日本人の幸福な日々」>[エピソード]ユーモアと感動に満ちた昭和天皇「五つの佳話」/加瀬英明]

 これは、昭和39年のある日の昭和天皇のメニューです。
(当時、宮内庁管理部大膳課第一係で和食を担当していた谷部金次郎(やべきんじろう)氏の記録による。谷部氏は一度拙ブログに登場しています)

・吸い物(椎茸、うずら、さやいんげん、若鶏、筍)
・太刀魚の塩焼(大根おろし添え)
・そぼろ入りオムレツ
・菜っぱのお浸し(おかか添え)
・麦飯
・キュウリの奈良漬

 日本は当時すでに高度成長期の真っ只中にありましたが、お食事はこのように庶民とさほど変わりのないものでした。

 実は、今上陛下の御代でもお食事はとても質素です。

image[110501-02shouwa1.jpg]

 昭和天皇は、昭和21年2月から29年8月まで、全国の各都道府県を巡幸され、遺家族、海外からの引揚者、戦災者の遺族を見舞って、励ましのお言葉をかけられました。

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