昭和天皇の質素な暮らしと共産党員によるプラカード事件
2015.04.27 Monday 03:00
くっくり
「詔書 国体はゴジされたぞ
朕はタラフク食ってるぞ
ナンジ人民飢えて死ね
ギョメイギョジ」
ギョメイギョジは漢字で書くと「御名御璽」。
天皇の名前と天皇の公印で、詔勅などの末尾に御名と御璽が記されていることを表しています。
法律の公布にあたっても記されます。
「御名御璽」といえば、2014年11月、衆議院解散の時にちょっとしたハプニングが起きましたが、それで知った方も多いのでは?
(この件は拙ブログでも取り上げました)
image[150427-02matusima.jpg]
プラカードを掲げたのは、共産党員の松島松太郎という人。
大会の3日後に警察から出頭を命じられましたが、これを拒否し、最終的に同年6月14日に不敬罪で逮捕されています。
その後、不敬罪で起訴されたものの、GHQの意向で名誉毀損罪として起訴されました。
裁判の結論だけ言うと、1948年5月26日、最高裁判所で公訴権の消滅を理由に上告棄却となり、免訴が確定しました。
これは最後の不敬罪事件となりました。
……さて、ここからが本題。
昭和天皇が「タラフク食ってる(食っていた)」?!
とんでもない話です!!
昭和天皇は戦後も長らく、大変質素な暮らしをされていました。
まず衣食住の「住」について。
昭和天皇は、昭和36年12月まで、「御文庫」に住まわれていました。
image[150427-03gobunko.JPG]
[1950年代の御文庫]
「御文庫」は戦時下に吹上御苑の中に建てられた防空施設です。
それまでのお住まいが空襲で焼けていたため、昭和19年12月からここに御起居されていました。
地上1階、地下2階、400坪の建物で500キロ爆弾に耐えるものでした。
終戦のご聖断が下された御前会議もここで開かれています。
ところがこの「御文庫」は、湿度の高さが尋常ではありませんでした。
屋根裏に入れる爆弾よけとして雪の積もった砂をそのまま詰めてしまっており、この雪が溶けて、腐ったような水が電気コードをつたってポトポト落ちてきます。
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