朝鮮に尽くした伊藤博文と今も変わらない朝鮮人の気質 「1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO」より
2015.04.20 Monday 01:55
くっくり
ちなみにこの時の暴動でソウルの住民が日本人への敵意を表すような行動を起こすことは全くなく、無関心だったそうです。
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[2011年6月2日「ビーバップ!ハイヒール」より日露戦争中の有名な写真。勝者と敗者が肩を並べるのは、当時としては異例中の異例]
本書は日本論、日本人論という側面もあります。
日本軍についての記述も複数ありました。
【朝鮮や満州における日本軍の振る舞いは全般的に素晴らしいものだったため、公平な観察者から比類ないほどの賞賛を浴びた。略奪行為は、ほとんど完全に抑制されていた。強姦は極めて稀だったが、犯罪が証明され次第、死刑に処された。非戦闘員に対する暴力や侮辱もめったに起こらなかった。そして、ロシアの捕虜達に対する待遇は、彼らに感謝の念を抱かせたほどだった。これらすべての面で、日本人と清国人とロシア人の違いは全く際立っていた。】
【彼(引用者註:イギリス人一等航海士)の船では、南山の戦いで副司令官だったロシア人将校が、捕虜として日本へ運ばれていた。このロシア人は足に怪我をしていて、捕らえられた後は長い距離を日本軍兵士達に担がれて運ばれた。救護所のテントにたどり着いた時、この将校は20ドル金貨を渡そうとした。しかし、日本兵は怪我をした敵からお金を受け取ることを拒否したのだった。「もしこれがロシアの兵士だったら」と、将校は自国人を評して言った。「この金を受け取るだけでなく、その上、私の服のポケットを探ったことだろう」】
これらの話は、本筋(日本の保護国だった朝鮮の情勢)とは一見関係ないように見えますが、日本人独特の「信義」の精神が、ラッド博士も含め朝鮮の行く末を見守っていた当時の外国人達に希望を与えていたことを示しています。
【日本は朝鮮を保護国化して、安全と平和、繁栄を確立しようとする中で困難に直面しているが、日本という国をよく知る人達なら、その困難に打ち勝つ能力が日本にあると期待している。それは、この信義という慣習の勝利を信じているからである。】
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