朝鮮に尽くした伊藤博文と今も変わらない朝鮮人の気質 「1907 IN KOREA WITH MARQUIS ITO」より

2015.04.20 Monday 01:55
くっくり


 「THE NEW KOREA」と同様、左ページは原文(英語)、右ページが翻訳文(日本語)という構成になっています。

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 ラッド博士(1842-1921)は、イェール大学教授で哲学の教授を務めた人物です。
 心理学の権威でもあり、日本の心理学の草創期に貢献しました。

 ラッド博士は、1906年8月に3度目の日本訪問をします。
 約半年間の滞在中に、東郷平八郎、大山巌、乃木希典など各界の一流人との交流を深めた後、伊藤博文(1841-1909)と出会います。

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[本書の裏表紙より伊藤博文の写真とサイン]

 伊藤博文は当時、大韓帝国で初代統監として奮闘していました。
 朝鮮の皇帝と人々の利益のために尽力する伊藤の姿に心を動かされたラッド博士は、伊藤の招待により朝鮮半島に渡ります。

 まえがきでラッド博士はこう記しています。

【今、アジアで最も偉大な政治家の1人が、永遠の平和への基礎を築くことに、全身全霊を捧げている。その波乱に満ちた人生の残りを賭けてである。日本と朝鮮、その過去と現在における問題とは何なのだろうか。そして日本人統監として、伊藤侯爵は解決のために何を成し遂げようとしているのか。本書によって、読者が少しでもそれを知ることを望んでいる。】

 伊藤博文が日韓併合(1910年)に反対の立場だったのは有名です。
 彼は朝鮮人の思いを最大限取り入れようと努力しました。

 「THE NEW KOREA」image[](1926年)のアレン・アイルランド氏も、伊藤は「朝鮮の友であり心からの支持者」だったと記しています。

 ラッド博士は、伊藤が朝鮮の人々の幸福のために尽力していることを、さまざまな形で証言しています。

【統監府の政策に影響を及ぼすあらゆる朝鮮国内の事柄について、統監自身は今や朝鮮人として取り組んでいた。侯爵が最も関心を寄せたのは、長い間、そして極めて間違った支配を受けてきた13,000,000人から14,000,000人の不幸な人々の、教育上、および経済的な福利であった。彼らの、独立を保ちたいという望みに、侯爵は共感していた。】

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