「アンカー」起こし裏話
2015.03.30 Monday 19:00
くっくり
それとは別に、これからは執筆活動の方に力を入れていきたいというお話も、青山さんは最近ブログやラジオなどでされていましたね。
そんなこんなで、私は、今年1月末に春の改編で『アンカー』が終わるという報道を見た時、青山さんは実はほっとされているのかもしれないと思いました。
新番組に引き続き出られるのでは?という期待も一部ファンの間にあったようです。
私も全く期待しなかったわけではありませんが、仮にそういう要請が関テレからあったとしても、『アンカー』のように独自コーナーを毎週30分近くも担当する形のものであれば、青山さんは断られるだろうと思っていました。
image[150327aoyama051205-1.jpg]
[「2時ワクッ!」2005年12月5日放送分より]
私と青山繁晴さんとの出会い。
それは、関西テレビ「2時ワクッ!」(2004年春〜2005年年末)。
有本恵子さん拉致事件の特集でした。
2005年11月28日と2005年12月5日の2回放送。
この番組で青山さんは月曜日のレギュラーでした。
司会は後に『アンカー』でも長年司会を務めた山本浩之さん(現在フリー)。
12月5日分の起こしの最後に私はこう書いています。
「青山氏が最後は涙まで流して力説してたけど、スタジオの反応はまるで人ごとみたいでした。今の日本の縮図のようだと思いました」
この時スタジオがすごく冷めていたことを、今も覚えています。
玉岡かおる氏とか円広志氏とか、顔ぶれにも問題があったのかもしれませんが。
その後、2006年春から『アンカー』が始まったわけです。
でも私も最初のうちは気まぐれにしか起こしていません。
2007年1月からは毎週起こしていますが、それもまだ要旨紹介という感じ。
今みたいに完全起こしになったのは2007年5月頃からでしょうか。
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