東日本大震災4年…10万人災害派遣の裏で隊員を「便利屋」扱いした政治家たち

2015.03.09 Monday 17:42
くっくり



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 とんだ“政治主導”で困らされるのは、いつも現場の人間ということか。

 ____________________________書き起こしここまで


 自衛官の皆さん、それでなくても心身共に非常にきつい中で活動されていたのに、政治家たちのパフォーマンスに振り回されて、ご苦労はいかばかりであったろうかと……(T_T)

 名指しされている人はもちろんのこと、「ある副大臣」も当時の菅政権の一員、つまり民主党の議員だと分かるのですが、「政治家」「代議士」の中には自民党はじめ当時の野党議員も含まれていたのではないかと推察します。

image[150309-11murayama.jpg]

 思い返してみれば…
 阪神・淡路大震災発生時の首相は村山富市。
 東日本大震災発生時の首相は菅直人。

 未曾有の大災害が起こった時に、左翼かつ決して有能とは言えない人物が首相であったのは、被災者にとって本当に不運でした。

 それでもまだ村山富市には同情すべき点があります(あくまで菅直人との比較でしかないけど)。

 当時の内閣官房副長官だった石原信雄氏は、自著『官かくあるべし―7人の首相に仕えて』(1997年)の中でこう記しています。

【前例のない未曾有の災害で、かつ法制度の未整備な状態では、村山以外のだれが内閣総理大臣であっても迅速な対応は不可能であった】

 また石原信雄氏は、読売新聞2011年3月25日朝刊に掲載されたインタビューで、こう述懐しています。)

【震災の3日後には自民党の小里貞利氏に震災担当相になってもらい、その下に各省の官房長クラスを配し、被災状況に応じて対策を即決できる態勢にした。私は小里氏に「村山首相は「結果の責任は自分が負う」とおっしゃっているから存分にやってください。各省の役人が反対するなら、私が抑え込みます」と申し上げた】

 また、佐々淳行氏の『後藤田正晴と十二人の総理たち』(2006年)によれば、震災後、後藤田正晴氏に指示された佐々氏が総理官邸メンバーの前で危機管理のレクチャーを行った時、熱心に話を聴いていたのは村山ただ一人であり、それ以外の政務・事務スタッフは皆我関せずの態度を取ったため、佐々氏は厳しく戒めたそうです。

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