本多勝一が“誤用”を認めた南京事件捏造写真&「中国の旅」と支那人体験記の残虐記述がそっくりな件
2014.09.22 Monday 18:29
くっくり
「美しい女は路傍の近くに連れこまれて淫を迫られた。必死に拒んで惨たらしい死に方をするのが十の六、七であった」
※“強制徴募”され支那事変に駆り出された支那人青年の私小説「敗走千里」にも、支那兵にとってこの種の蛮行は日常的であったことを匂わせる記述が出てきます。もちろん相手は自国の女性です。ちなみに「敗走千里」は戦後にGHQによって「焚書」にされました。
「川岸は水面が死体でおおわれ、長江の巨大な濁流さえも血で赤く染まった」
「長柄の槍で争って突き刺されるか、鉄砲で撃たれるかして、百の一人も助からなかった。水はそのため真っ赤になった」
「強姦のあと腹を切り開いた写真。やはりそのあと局部に棒を突立てた写真」
「女の死体が一つ仰向けになって転がっていた。全身に魚の鱗のような傷を受け、局部に矢が一本突き刺さっていた」
「日本軍は機関銃、小銃、手榴弾などを乱射した。(中略)大通りは、死体と血におおわれて地獄の道と化した」
「刀がふりおろされるごとに一人又一人と死にゆき、頃刻にして数十の命が畢(おわ)った。地はそのため赤くなった」
「水ぎわに死体がぎっしり漂着しているので、水をくむにはそれを踏みこえて行かねばならなかった」
「河べりには見渡すかぎりおびただしい死体が流れ寄っていた」
「逮捕した青年たちの両手足首を針金で一つにしばり高圧線の電線にコウモリのように何人もぶらさげた。電気は停電している。こうしておいて下で火をたき、火あぶりにして殺した」
「河べりに大きな木が百本ばかりあったが、その木の下にはみなそれぞれ一つか二つずつ死体があった。木の根元に搦手に縛りつけられ、肢体は黒焦げになって満足なところは一つもなかった。それらの木にしても、枝も葉もなかった。多分賊や官軍らは人をつかまえて財物をせびり、聞かれなかったために、人を木に縛って火を放ったものであろう」
「赤ん坊を抱いた母をみつけると、ひきずり出して、その場で強姦しようとした。母は末子を抱きしめて抵抗した。怒った日本兵は、赤ん坊を母親の手からむしりとると、その面前で地面に力いっぱいたたきつけた。末子は声も出ずに即死した。半狂乱になった母親が、わが子を地面から抱き上げようと腰をかがめた瞬間、日本兵は母をうしろから撃った」
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