本多勝一が“誤用”を認めた南京事件捏造写真&「中国の旅」と支那人体験記の残虐記述がそっくりな件
2014.09.22 Monday 18:29
くっくり
この写真のおおもとの出典は「アサヒグラフ」1937年(昭和12年)11月10日号で、キャプションは【我が兵士に守られて野良仕事より部落へかえる日の丸部落の女史供の群】となっています。
それが、「中国の日本軍」のキャプションでは【婦女子を狩り集めて連れて行く日本兵たち。強姦や輪姦は七、八歳の幼女から、七十歳を越えた老女にまで及んだ】となっており、アイリス・チャンの「ザ・レイプ・オブ・南京」では、【日本軍が女性や子供を狩り集めて売り飛ばした】となっていました。
※この件の詳細こちら
・水間政憲さんのブログ>緊急拡散希望《本多勝一氏が『週刊新潮』に「南京大虐殺」派が使っていた象徴的写真を捏造写真と認めました》
・【水間政憲】南京大虐殺陥落!本多勝一、写真捏造を認める![桜H26/9/18]
・日々佳良好さん>南京事件・本多勝一が捏造写真と認めた
冒頭の橋の写真は、もとは「アサヒグラフ」1937年(昭和12年)11月10日号の「硝煙下の桃源郷・江南の『日の丸部落』」という特集ページに掲載されていたものですが、このページには他に3枚の写真が掲載されていました。うち2枚がこちらです。
image[140911-05hatake.JPG]
image[140911-06hatake2.JPG]
[画像はいずれも水間政憲さん著「ひと目でわかる「日中戦争」時代の武士道精神」image[]から接写。画像をクリックすると新規画面で拡大されます]
冒頭の橋の写真は、実際には、下の村から上の畑への送り迎えを日本軍が護衛していた途中の微笑ましい光景だったのです。
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