日本人と朝鮮人はとても仲が良かった!「朝鮮總督府官吏 最後の証言」より

2014.09.08 Monday 01:07
くっくり


 ということです。

 そして、こうもおっしゃっています。

【頭の中を整理してほしいのは、当時の朝鮮は「戦場ではない」ということです。当たり前ですが、戦場ではないので非日常的なことは起きませんし、あった場合は警察官が駆けつけます。今となんら変わらないのです。
 しかも、この行政システムの警察の中には朝鮮人が多く、行政のトップの知事も朝鮮人が多数任命されていたというのが実態です。】

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[画像をクリックすると拡大表示されます。2013年3月8日の衆院予算委員会、中山成彬さんの質疑より]

 先ほど、「差別を日本人は無くそう、朝鮮人も同じ権利にしようと努力していた。この努力を日本人は懸命にしていた事実を知ってほしい」という西川さんの声を紹介しましたが、同じことを言われていた元官吏の方が他にもいます。

 1942年から終戦まで朝鮮總督府に勤められていた大師堂経慰(だいしどう・つねやす)さんです。

 この方も生前、「総動員体制から戦時体制に移行していた總督府施政において内鮮人の処遇の差別と見られるようなことのないよう常に気を遣っていた」と証言されていました。
 (拙記事2013/7/27付【慰安婦強制連行があったのなら、なぜ朝鮮人男性は反乱も起こさず黙っていたのか】参照)

 また、少なくとも日本の朝鮮統治35年間の後半期は非常に穏やかだったことは、韓国人の朴贊雄さん(終戦当時20歳)も自著「日本統治時代を肯定的に理解する 韓国の一知識人の回想」image[]で語っておられます。

 この本の内容については、拙ブログの「外国人から見た日本と日本人」シリーズで数回に分けて紹介しています。興味のある方は過去ログをこちらからめくってみて下さい。朴贊雄さんが登場するのは(20)(21)(30)(35)です。

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