小野田寛郎さん靖國神社を語る…WiLL2005年8月号より
2014.08.25 Monday 17:27
くっくり
日本人もねやっぱり、かつて戦争という不幸な事件もあったし、その時の気持ちも色々あるけども、片っぽでね、あらゆることですよ、ジャパニーズとしての気質とかさぁ、本質的な、こう日本人の考え方、その美学もあるわけだから、それを考えて、こう政治もやってほしいなと。】
もうひとつ、小野田さんにまつわるちょっといい話。
WiLL2014年5月号に寄稿された、小野田自然塾理事の徳宿恭男さんの追悼文から。
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小野田さんが帰還された74年の初夏、徳宿さんの自宅を訪問されたのが、お2人の出会い。
徳宿さんは当時、警視庁の広報課長でした。
小野田さんはその時、徳宿さんに2つの依頼をされたそうです。
・帰国して日本で大騒ぎになり、中には心ない誹謗中傷もある。我慢に我慢を重ねているが、今後どんな厄介なことに巻き込まれないとも限らないので、そんな時のために、いつでも警察に相談できるルートを作っておきたい。
・ルバング島での捜索隊には警視庁の機動隊も大勢派遣された。お世話になった全ての人に感謝を伝えたい。ついては代表の警視総監にお礼を申し上げたいので、窓口になってほしい。
冷静沈着なだけでなく、とても律儀な人だったのが分かります。
そして、徳宿さんが小野田さんを特に尊敬している点として挙げられているのが、以下の3つです。
・不撓不屈の精神。どんな困難にも、どんな強い者にも決して屈しない。その一方で、弱い者、幼い者に対しては、これが同じ人かと思うほど優しい。本当に強い者だけが本当に優しくなれるということを、40年間のお付き合いの中から学んだ。
・無私無欲。国のため、社会のため、人のために、私財をなげうって尽くされた。小野田自然塾も自宅マンションを抵当に入れて借りた数千万円に、全国を回って話をした講演料を少しずつ貯めてつぎ込んで作った財団法人。
・あれだけの苦難を経てきたのに、過去を決して振り返らなかった。ルバング島での経験も、誰かが聞いてはじめて答えるというのが常。過去にとらわれず、いつも自由で前向きな視点で行動していた。小野田自然塾として少年健全育成の大事業に取り組む時もそうだったが、いつも物の考え方が実に柔軟だった。小野田さんに向かって、軍国主義の権化だなどと言葉を投げつけた人は、全く小野田さんを誤解している。いつも前向き思考で、自分にできることで日本に恩返ししたい、と全身全霊を傾けていた。
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