小野田寛郎さん靖國神社を語る…WiLL2005年8月号より

2014.08.25 Monday 17:27
くっくり


「心ならずも」ではない

 小泉総理が、若者たちは「心ならずも」戦争に行かされて、戦死したような言い方をしましたが、とんでもないことです。

 既婚者は、家族を遺して死ぬことに心残りもあったかもしれないけれど、独身の若い者たちは、自分が先頭に立って戦わねば、とみな思っていた。年寄りを前に立たせたってしかたないのですから。これはどこの国だって同じでしょう。命がなくなることは覚悟していた。

 私は陸軍中野学校二俣分校で訓練を受けました。ここは南方戦線と本土における遊撃(ゲリラ)要員を養成する学校です。二年間かかる諜報、謀略技術を、語学を省き、必須事項のみを朝から晩まで、三カ月で詰め込まれました。

 日々、国体、国家、社会などについても、徹底的に教官と意見をぶつけあうのです。なぜ命をかけてこの仕事をしなくてはならないか、を討論したものです。

 漫然と「天皇陛下のために」だけでは死ねない。天皇とは国のことで天皇のためにではなく、日本のために死ぬのだ、ということを本当に理解するための議論の中では、天皇を批判することもありました。そうしなければ、成功しても発表さえされず、失敗すれば命がない、カネにもならなければ名誉にもならないことは、とてもできないからです。

 自分たちをおいて、誰がこの任務を果たせるか、という気持ちで、私は同期の四十三名とともにフィリピン戦線に送られた。そして、昭和十九年、「ルバング島でゲリラ戦を指導せよ」という命令を受け、見習士官として赴任した私は、それから三十年間、終戦を信じず「残置諜者」として戦い続けることになった。

 私たちだけはない。みな、若い人は覚悟を決めていました。「心ならずも」なんていう気持ちで、特攻機に乗れますか?

 だから、彼らは死んで私達に恩恵を与えてくれる神様なんです。独身者は、親兄弟が死んだら、もうお祀りしてくれる人はいません。でも靖国神社がある。国のために戦死した人を国で祀ることは当たり前で、これは、日本だけのことではない。どこの国だって当たり前の感覚です。

 日本人はそれさえわからなくなってしまったのか、と思います。

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カネ、カネの世の中

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